2010年11月23日のブックマーク (7件)

  • 『社会学入門』付録以来の宿題 - shinichiroinaba's blog

    前著の付録では社会学的全体論とクワイン=デイヴィドソンの意味・信念の全体論との対応付けと統合という課題が手付かずのまま放り出されていた。 その宿題を果たすべく書きなぐっているメモ。そのおかげでようやくベイジアンとかラムジー哲学とかも齧る覚悟が付いたのだが。 何か間違ったことなど書いていればご教示ください。 おそらく我々はドナルド・デイヴィドソンが遺した「思考、意味、行為の統一理論」の構想を人間社会科学の一般理論の基礎として役立てうるのではないか。 デイヴィドソンの哲学体系は一見、行為論、その延長線上での「非法則的一元論」としての心の哲学と、アルフレッド・タルスキの真理論を基礎とした、真理条件意味論を主軸とした全体論的言語哲学の二側面からなるものとしてわれわれの目に映る。しかしこの両系列は80年代以降、デイヴィドソンが「統一理論」「合理性の科学」と呼ぶより大規模な構想の中に回収され、統合され

    『社会学入門』付録以来の宿題 - shinichiroinaba's blog
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/11/23
    社会学的全体論とクワイン=デイヴィドソンの意味・信念の全体論との対応付けと統合
  • SYNODOS JOURNAL : 中国におけるネット世論の勃興と民主主義 高原基彰

    2010/11/197:0 中国におけるネット世論の勃興と民主主義 高原基彰 ◇削除とコピー&ペーストのいたちごっこ◇ 中国をめぐる激震が止まらない。尖閣諸島事件につづいて、劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞、さらに五中全会での新指導部決定など、大きな事件が相次いでいる。 この「零八憲章」も、既存マスメディアではほぼ何も報じられず、またネットで検索できない検閲対象語だった。大多数の中国人がその存在を知ったのは、政府系メディアで受賞後の劉氏に対するネガティヴ・キャンペーンが格化してからのことだろう。 中国のマスメディアは政府の情報機関の統制下にあり、情報の流通は西側諸国などと比べればはるかに制限されている。しかしながら、いかに既存マスメディアを規制しても、またネット上で「金盾」ファイヤーウォールを構築しても、それを飛び越えるかたちで各種の情報が漏れ入ってくるのは避けられない。 とくに、インター

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/11/23
    どこの国でも、実態として議会制民主主義、三権分立が十全に実現していないことを指摘するのはたやすい。しかしそもそも「建前」「理念」が存在しないというのは、それと次元が違う状態である
  • 心の哲学に関する説明(改訂版) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    序 心の哲学とは、心に関する様々な根底的疑問に答えようとする哲学の分野である。 心の哲学での主要な問題として心身問題が挙げられる。心身問題では心と身体とがお互いにどのような関係にあるかを問う(最近では身体の代わりに脳を持ってくることが多い)。心身問題に対する考え方には大きく分類して一元論と二元論とがある。心身二元論はフランスの哲学者デカルトが支持した説として有名であり、心は身体とは互いに独立して存在しているとする考え方である。それに対する心身一元論にはスピノザの説がある。スピノザは心を決定論的な機械論で説明できるとし、意志や意識も身体の運動も同じ事柄の異なる表れだとした。心身関係には他にもいろいろな説があるが、切りがないので省略(これについてはウィキペディア「心の哲学」の項を参照)。他にも、自由意志論や他我問題などもあるが、これらも基は心身の一元論と二元論との間の調停が中心問題であること

    心の哲学に関する説明(改訂版) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/11/23
    心の哲学に関する説明(改訂版)
  • ガレス・エヴァンスの哲学を調べる、または純粋な心の哲学? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    アメリカの分析哲学者であった故ガレス・エヴァンスは知覚が非概念的内容を持つことを提唱したことで有名なのは知っていたが、そのじつ日ではめぼしい紹介があまりなくネット上でも日語の情報があまりなくて困っていたところで、次のリンクの論文をやっと見つけた。 固有名の指示について―社会的規約、対象の同定、記述― 藤川 直也(PDF) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24337/1/%E8%97%A4%E5%B7%9D%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%A8%BF.pdf 捉えがたき明晰さ-知覚内容の非概念性 信原幸弘(PDF) http://wwwsoc.nii.ac.jp/pssj/program/program_data/37/37ws/nobuhara-2.pdf ローティが(デイヴィトソンと比べ

    ガレス・エヴァンスの哲学を調べる、または純粋な心の哲学? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/11/23
    ライルやセラーズやエヴァンスなど "純粋な心の哲学にも問題がないわけではなく、知覚に関する問題はうまく解消されていない"
  • セラーズ「経験論と心の哲学」第3部「見える」の論理 を解説してみる - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    「赤がある」と「赤が見える」と*1はどちらが根底となる命題なのだろうか。伝統的な哲学の議論では「赤が見える」が根底であり、「赤がある」はそこに存在が付与されるものであるとされた。しかし、セラーズはこれを否定する。「赤がある」こそが根底であり、「赤が見える」はそれが疑わしいときに用いられるのであると。どういうことだろうか。 実際に言語を用いる場面を考えれば分かる。目の前に何かがある場面で他者に向かって、「赤がある」と言うときと「赤が見える」と言うときとを比べて考えてみればよい。他の人にもそう認めてもらえると分かっていたら普通「赤がある」と言う。「赤が見える」とわざわざ言うのは他の人にそう認めてもらえるかがあやしいときである(そう見えるのは私だけ?)。そしてこれが私だけでなく一般的な人々の言語の用い方だと認めたうえで、言語を習得する場面を考えると良い。他者が目の前に何かがある場面で私に向かって

    セラーズ「経験論と心の哲学」第3部「見える」の論理 を解説してみる - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/11/23
    アメリカの心の哲学の始原であると同時に頂点,存在文の習得を前提としてどう見えるかを報告する感覚文が可能になる(逆ではない)。自分にとってどう見えるかなど概念学習のための参照データに過ぎない
  • 思想史の中の history と theory、ときどき nature...

    歴史研究における理論とその脱領域性――学問と人生?」 http://togetter.com/li/9176 の続編。話題は歴史と理論の関係ですが、できれば「歴史」と「理論」の歴史を渉猟したいと考えています。ご発言に際しては、ハッシュタグ #H_T をお使い頂くか @odg1967 をどこかに挿入して頂ければ、何とか拾えると思います。ときどき "BH" として参照を求められているのは、bibliotheca hermetica http://www.geocities.jp/bhermes001/ です。

    思想史の中の history と theory、ときどき nature...
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/11/23
    odg1967 さんによるラカトシュとかクーンとか
  • 経験論と心の哲学 - 岩波書店