――レトリック探究が哲学の現在の営みにとってどうして重要なのか―― 草稿『日本認知言語学会論文集』に掲載予定 1 伝統的言語学はレトリックを扱えない ここで私たちがおこなう予定でいるのは、〈言語の意味〉の観点から、旧来の言語観を問い質すことをつうじて、然るべき新たな〈言語〉の原像をつくり直すことである。たとえその彫像を仕上げるのが叶わぬとしても、少なくとも、原像の輪郭だけは明らかにしておきたい。従来、伝統的言語学(1)に伴走するかたちで言語探究にたずさわってきた試みはいく通りもあるが、私見ではとりわけレトリックが示唆的である。 古来よりレトリック(弁論術・修辞学)は、ロジック(論理学)とならび言語探究をになう学科として、カリキュラムの重要な一翼を担ってきた。話し言葉と書き言葉の違いを問わず、レトリックとは、内容を伝えることで役目を終える日常的言語のためではなく、生き生きとした効果をもち、読