2011年5月1日のブックマーク (3件)

  • 言語の実像をつくり直す - 現在思想のために

    ――レトリック探究が哲学の現在の営みにとってどうして重要なのか―― 草稿『日認知言語学会論文集』に掲載予定 1 伝統的言語学はレトリックを扱えない ここで私たちがおこなう予定でいるのは、〈言語の意味〉の観点から、旧来の言語観を問い質すことをつうじて、然るべき新たな〈言語〉の原像をつくり直すことである。たとえその彫像を仕上げるのが叶わぬとしても、少なくとも、原像の輪郭だけは明らかにしておきたい。従来、伝統的言語学(1)に伴走するかたちで言語探究にたずさわってきた試みはいく通りもあるが、私見ではとりわけレトリックが示唆的である。 古来よりレトリック(弁論術・修辞学)は、ロジック(論理学)とならび言語探究をになう学科として、カリキュラムの重要な一翼を担ってきた。話し言葉と書き言葉の違いを問わず、レトリックとは、内容を伝えることで役目を終える日常的言語のためではなく、生き生きとした効果をもち、読

    言語の実像をつくり直す - 現在思想のために
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/01
  • Itaru Shimazu

    0−0 ポパー理論の全体を通して、人間と生物一般の世界認識を理解する上で、「心理」の要素は極力隅に追いやられる。科学方法論を論じる初期の著作においては、特に心理主義排除と論理重視が顕著であるが、後期のポパーによる三世界論も、心理の世界である世界2と別に客観的意味の世界である世界3を設ける点に、全体の議論の主眼がある。ただそこでは「意識」の世界が世界2とされるが、意識は言語を中心にしており、これは世界3と連続しているから、言語化された世界2と世界3との境界を明確に定めることは困難であり、その区別の意義も疑問である。私はむしろ、人間の精神と行動を構成する要素の中で、言語にならない(まだなっていない、できない・・・)部分に着目して、ポパー理論に、その裏口から接近してみたいと考える。来の意味における「論理」は言明間の関係であるから、言明にならないものの間には論理的関係の成立はあり得ない。だから、

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/01
  • http://fs1.law.keio.ac.jp/~popper/v6n1kogawara.html

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/01