教育と文化に関するtsumoyunのブックマーク (5)

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    新米と秋刀魚のわた焼き お刺身用の秋刀魚を買いました。1尾250円です 3枚におろして、秋刀魚のわたに酒、味醂、醤油で調味して1時間ほど漬け込み、グリルで焼きました 秋刀魚のわた焼き わたの、苦味が程よくマイルドに調味され、クセになる味わいです 艶やかな新米と一緒に 自家製お漬物 土…

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  • 学校の怪談ほか - 内田樹の研究室

    朝一で大学のチャペルアワーでお話をする。 いかにもころりと忘れていたのだが、前日たまさか宗教センターのおねいさんに廊下で「明日よろしくお願いします」とぺこりと頭を下げられたので、私はそのような礼を言われるいわれはないのである旨を申し上げたら、翌日のお話の担当に決まっていて、私はそれをグーグル・カレンダーに入力し忘れていたのである。 危ういところであった。 朝ご飯をべながらぱらぱらとコンコルダンスをめくって「学びと畏れ」にかかわる箇所を探して申命記4-10を「日の聖句」に選ぶ。 インターネットというものがなかった時代の遺物であるが、便利なものである。 大学で10分間「学びと畏れ」についてお話をする。 どうして「学校の怪談」というものがあれほど広く普及しているのに、「会社の怪談」というものは存在しないのか。 それは学校の「建築物としての構造」が「学びの構造」の比喩になっているからである。

    tsumoyun
    tsumoyun 2009/02/05
    “人と人が出会う場所、未知のものと出会う場所は、それにふさわしくさまざまな「くらがり」によって彩られていなければならない。/私たちに欠けているのは、「共同的に生きるためのマナー」である。”
  • 親族の基本構造 - 内田樹の研究室

    大学院では今期は「家族論」をやっている。 今回のお題は「父親」。 発表担当のマスダさんがいろいろな論者の家族論・父親論を引用してくれたので「父親をめぐる言説史」を一覧できた。 日人の家族論の多くがサル学の知見に依拠しており、精神科医たちまでが霊長類の「延長」として家族をとらえていることに私は一驚を喫した。 人間の家族はゴリラやチンパンジーの「家族」とは成り立ち方が違う。 レヴィ=ストロースは家族論を語るときの必読文献だと私は思うのだけれど、家族論者のどなたもこの人類学者の知見には特段のご配慮を示されておらないようである。 よい機会であるので、レヴィ=ストロースの「親族の基構造」の考想を簡単にご紹介しておこう。 レヴィ=ストロースはラドクリフ=ブラウンの先行研究をふまえて、親族の基単位が四項から成ると論じている。 「ラドクリフ=ブラウンによれば、伯叔父権 (avunculat) という

    tsumoyun
    tsumoyun 2009/02/04
    ”タイプの違う二人のロールモデルがいないと人間は成熟できない/成熟というのは簡単に言えば「自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力」を身に付けること/99%の男には生物学的には価値がない”
  • 内田樹の研究室 - どうして仏文科は消えてゆくのか?

    かつては文学部の看板学科だった仏文科の廃止が続いている。 神戸海星女子大に続いて、甲南女子大も仏文科がなくなる。 東大の仏文も定員割れが常態化している。 理由はいくつかある。 英語が「国際公用語」の覇権闘争に勝利して、事実上のリンガ・フランカになったこと。 フランス自体の文化的発信力が衰えたこと。 文学についての知識や趣味の良さを文化にカウントする習慣が廃れたこと。 語学教育がオーラル中心にシフトしたこと。 などが挙げられる。 理由のうち最初の二つはグローバルな事情があってのことであるから、私どもが個人的にどうこうできることではない。 残る二つは邦の事情である。 外国語教育をオーラル中心にすることの害については、これまで何度も書いてきたので、ここには繰り返さない。 日は、文学についての教養文化としての価値を失った経緯について考えたい。 教養文化としての価値を失うとはどう

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    tsumoyun 2009/02/01
    ”たまたま権力や威信を保持している人間を、下から羨ましげに見上げたものたちの眼に「差別化の秘密」としてたまたま「教養」が映じたので、それが文化資本となったのである。”
  • 英語の圧倒的一人勝ちで、日本語圏には三流以下しか残らなくなるが、人々の生が輝ければそれでいい - 分裂勘違い君劇場

    英語の圧倒的一人勝ちで、日語は衰退してしまうから、国語を守るために、国語の時授業時間を増やし、近代日文学を読み継がせるのに主眼を置くべき」 と主張する「日語が亡びるとき」というを、梅田望夫氏と小飼弾氏が絶賛しているが、こので主張されているのは、 日文化を守るために個々人の人生を犠牲にする、愚劣な教育政策だ。 日語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (459件) を見る 今後、世界中の、あらゆる価値ある知識は英語で生産され、英語で流通する。 インターネットの普及が、その流れをますます加速している。 世界中の知的にパワフルな人々は、ますます母国語よりも英語で読み、英語で書き、 英語で議論しながら、価値ある学術的成果・文化・商品

    英語の圧倒的一人勝ちで、日本語圏には三流以下しか残らなくなるが、人々の生が輝ければそれでいい - 分裂勘違い君劇場
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