さすがはヘーゲル。見事なメタファー(隠喩)だ。しかし、比喩が美しいからといって主張が正しいとは限らない。他の学問分野はいざ知らず、少なくとも法律学はミネルバのふくろうに課された宿命とは無縁の存在だ。 法律学は巷(ちまた)に生起する諸問題を同じ時代・同じ空間に生きる人々の手によって解決するためのアート(技芸)だからである。国家間の争いから家族間の争いまで、あらゆるレベルの紛争の論点を整理してそれを平和裡に解決すること、それが法律学に与えられた使命であり、絶対的真理を求めて歴史の終焉を待つ余裕などあるはずがない。 問題の実践的解決能力、それこそが法律学の真髄であり、この働きがあればこそ法律学は有用な学問としての評価を長年にわたり享受してこれた。ところが、最近に至り状況が変わった。少なくとも私にはそう思われる。たとえば、社会問題を論じる各種のフォーラムで積極的に意見を述べる者の多くはエコノミスト
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