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ブックマーク / hyoshiok.hatenablog.com (5)

  • 昔fjというインターネットの掲示板みたいなものがあった(今でもあるけど) - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    1990年代のインターネットというのは利用者も少なく閉じた世界観があって、自由というもののある種の見えない掟みたいなものがあった。あったのかもしれない。当時ネットニュースという掲示板みたいなものがあって、今で言うところの中二病をこじらせたいい歳をした大人たちが日夜あーでもないこーでもないと言い合っていた。 fjというネットニュースがあって、日々いろいろな話題が議論されていた。あなたの会社のエラい人も若い頃、そのネットニュースに書き込んでいたかもしれない。若き日の(15年前)まつもとゆきひろさんとかがいるよ。 たまたま、そのころのニュースを発見して、あまりの懐かしさにここに再掲することにする。若き日の、あの人やこの人の中二病時代の書き込みである。 編集解説はわたし。それ以外は、当時の誰か。 https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/fj.co

    昔fjというインターネットの掲示板みたいなものがあった(今でもあるけど) - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    tsupo
    tsupo 2014/01/17
    あの頃は、設計者とコーディング者が別であることが理想とされてたんだけど、人がいないので仕方なく全部同じ人がやっている、というような空気があったような / まつもとさんのfjでの全盛期は1992年,93年あたりだと思う
  • 英語化の弊害 2012-10-03 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    タイムラインに英語化の弊害とかいうのが流れて来て『デキル人がダメ人間に見える』みたいなのを目撃する。 そーゆーのあるよなーとか思う。 でも、日という地域でデキルと思われていても、世界に出るとガラパゴスってのはよくある話で、結局だめなんじゃんということか。身も蓋もない話で救いがないなー。 とか思ったのだが、この気持ちを精密に言語化できないので、推敲なしに脳内の思いをだだ漏れしてみる。 わたしの英語の原体験はDECとかOracleとか米国系企業の日法人に勤めていたころにさかのぼる。DEC時代も米国社に出向する機会はあったのだけど、当のところはOracle時代、片道切符で米国社でぺーぺーのエンジニアで働いた経験だ。 当時はもちろんインターネットが商用化した前後で、欲しい情報も十分にあったわけではないし、Oracleの米国社でエンジニアとして働くということがどのようなことかの情報もまっ

    英語化の弊害 2012-10-03 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • NIH症候群 2009-08-25 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    自前主義というか、車輪の再発明というか、おれがおれがというか、そーゆー行動スタイルをNIH (Not Invented Here Syndrome)症候群と呼ぶ。 独自で作ったばりばりのソフトウェアなんてオープンソースにして公開したところで誰も使わないし、使ったとしても誰も改良してくれないし、従ってバザール開発にもならないにも関わらず何を勘違いしたかオープンソースにして、閑古鳥がなくなんてことがあるのかないのか知らないが、企業がオープンソースに関わろうとするなら、いきなり敷居の高い独自ソフトのオープンソース化なんてことはやめておいて、既存のOSSプロジェクトにおずおずと参加させてもらうというような方法がいいと思う。(もちろんわたしの個人的な意見であることは論をまたないけど) 個人の場合は、趣味で好きでやっているんで、どうでもいいのだけど、好きなものを好きに作って、自分の情熱の赴くままに作っ

    NIH症候群 2009-08-25 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    tsupo
    tsupo 2009/08/26
    なんでも自前で揃えないと気がすまない NIH (Not Invented Here Syndrome)症候群 / 「オープンソースとはNetscapeブラウザのソースコードを公開する際のプロモーション用語」
  • そろそろUnicodeについて一言いっておくか - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    文字コードの標準化について日記を書いたのだが、内容がいまいちだったのでボツにして気を取り直してUnicodeについて一言いっておくことにする。先日、といっても昨年(2008年)の10月なんだけど、その中でちょと文字コードの標準化について話をしている。*1 もう1つ自分の経験としてあるのが、漢字の文字コードがあるんですけど、番号で言うとJIS X 0208とか0212とか規格の番号で皆言うわけなんですけど、実は1988年にその日語の文字コードの改正の委員会にいたんですね。 その当時、私は 30歳ぐらいなんですけど、「富士通」とか「日立」とか「NEC」の部長さんぐらいの偉い人たちが来てて、私なんか外資系で且つ30前後のぺーぺーだから、全然格下なんですよ。 そういうところで議論の主軸を担ってるのは、「富士通」「日立」「NEC」「日IBM」「東芝」「沖」、外資でいえば「ユニシス」とかの錚々たる

    そろそろUnicodeについて一言いっておくか - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    tsupo
    tsupo 2009/04/21
    Unicode は fj.* ではかなり忌み嫌われてた。ISO-2022 ベースで世界中の文字を全部取り込む、という方向もあったのに、結局、そっちには行かなかった。エスケープシーケンスで切り替えるのが面倒、複雑というのが障壁
  • 2005-04-27

    梅田 Blog論2005年バージョン(2) http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050426/p1 裏切られた期待として、 大組織に属する超一流の技術者や経営者が気でBlogを書くということも、どうも日では起こりそうもない。 と悲観している。確かにその印象はある。日の大企業に属する超一流の誰かが実名でBlogを書くという状況は想像しにくい。一人や二人でなくて何万人も専門家がその専門について日々記すと言う状況は考えにくい。 守秘義務ウンヌンカンヌンという話は確かになくはないがそれだけで説明できるほど話は単純ではないと思う。米国で働く時にだって入社一日目にNDAへのサインをするし常識の範囲での守秘義務はある。 わたしがシリコンバレーで見聞きした範囲で言えば、以下のようなイメージである。Stanford大学のデータベースグループは毎週金曜日の午後に公開セ

    2005-04-27
    tsupo
    tsupo 2005/06/02
    一人一人が発言をする。それのメリットを発信していくしかないのである。
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