tsuyu-kusaのブックマーク (52)

  • 貰えなかった母親の愛を今も求めている - 考えるつゆくさ

    母親から愛を貰えなかったことが40代になっても未だに哀しい。多くの人が母親から貰った愛を心の土台にして、強く明るく生きている。一方、愛を貰えなかった人の心には、その土台がない。だからいつも心は不安定で弱い。 母親からの愛は、その人が生きていく上での自信になり、自己肯定になり、力になり、安心感となる。母親からの愛がないと、自信がなく、自己をいつも否定し、無気力で、不安に苛まれてばかりいる人生になる。私の中の当の私は、毎日、いつでも、うずくまって泣いているし、怖がって震えているし、何もかもが嫌で耳を塞いでいる。 でも、表面の私はそうは見せないために必死になっている。自信、自己肯定、力や安心感が、人並みにあるように見せるために、毎日、いつでも、忙しない。火を絶やさないよう風を送り続けるふいごのよう。普通の人のように見える人生が送りたい。泣いたり震えたり耳を塞いでいる姿なんて誰にも見せたくない。

    貰えなかった母親の愛を今も求めている - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/06/10
    普通の人のふりをして生きることに疲れた。疲れて、死んでしまいたいとよく思う。
  • エリート家庭の私の家はごみ屋敷だった - 考えるつゆくさ

    私の家はごみ屋敷だった。有名大学に勤めるエリートの父親で、家は閑静な住宅街にあり、娘は私立の中高に通っていると言えば、一見いい家のように見える。 しかし、実際のところは家の中では、母親は家事や育児を放棄し朝から晩までテレビの前に寝っ転がって菓子をいながらテレビを観たり寝たりしており、父親は書斎に引きこもって家族のことなど気にもかけず、兄弟も自室に引きこもって布団をかぶって寝ており、掃除機を何週間もかけられていない家の中はほこりにまみれ、風呂場は黒かびだらけで浴槽には垢がこびりつき、洗面所は汚れた洗濯物の山になり、リビングにもたたまれていない洗濯物が積まれており、台所はコンロもグリルも換気扇も油でどろどろに汚れ、流しには汚れた器が溜め込まれて汚水が貯まり、冷蔵庫の中はかびの生えた品や何も開封されている同じ調味料、トレイからこぼれだした肉片や腐って液体と化した野菜などであふれ返っていた

    エリート家庭の私の家はごみ屋敷だった - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/05/28
    子供をサポートしない、サポートするつもりが微塵もない親に育てられた子供の自己肯定感が低いのも無理はない。サポートしないというのは、子供を生かせるつもりがないということだ。
  • 娘の容姿を罵倒し、嘲笑する母親 - 考えるつゆくさ

    娘を罵倒し、嘲笑するのが、母にとって日々の喜びだったのだろうと思う。子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。 容姿について、母から以下のような罵倒・嘲笑をされてきた。 「あんた、目が大きすぎて、おばけみたいで気持ち悪い」 「手足が長すぎて、骸骨みたいで気持ち悪い」 「体が細すぎて、まるで餓鬼だね」 「顔が細すぎて、首も細すぎて、病人と同じ」 「出っ歯で、河童みたい」 「鼻が低くて、笑われる」 「くまがあって、おかしい」 「髪を結ぶと、ひっつめした女中みたい」 「陰気くさい顔で、どんどんブスになる」 そして娘の鼻に洗濯ばさみを挟んで嘲笑ったり、鼻の下を指で押して「(出っ歯が)引っ込め、引っ込め」と馬鹿にしながら歌ったりしていた。スイミングスクールで水着を着ていた私を見て、「体が細くて、

    娘の容姿を罵倒し、嘲笑する母親 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/05/18
    子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。
  • 贈りたいと思える母親がいない それは子供のせいではない - 考えるつゆくさ

    雑貨屋に入るともう母の日のコーナーが設えられていて、カーネーションが描かれた綺麗なハンカチが飾られていた。薔薇や紫陽花が描かれているものもあった。パステルカラーのピンクや紫の美しい扇子も置いてあった。 こんなに綺麗で美しい品々を、買って贈りたいという気持ちになった。でも私には買って贈りたいと思えるような母親がいないと思うと、哀しくなって涙が出た。 贈りたいと思える母親がいたなら、どれだけ幸せなことだろう。「あら、いいわね」と喜んでくれて、その顔を見てこちらも嬉しくなれたなら、どれだけ幸せなことなんだろう。 私だって、当は、母の日に贈り物をする娘になりたかった。 いわゆる“いい子”だった私は、子供の頃から、病で倒れる30代半ばまで、事あるごとにせっせと母親に贈り物をしてきた。 しかし彼女の口から放たれるのは「あんたは何もしてくれない!」「あたしは子供に恵まれなかった!」「あんたは親不孝だ

    贈りたいと思える母親がいない それは子供のせいではない - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/04/08
    母の日に母親に贈り物をしたいと思える人は幸せだ。それはその人が決していい娘や息子だからではない。そして母親に贈り物をしたいと思えない人は、決してその人が悪いわけではない。
  • 教育虐待 中学受験で私は死んだ2 - 考えるつゆくさ

    毎晩深夜2時まで怒鳴られたり叩かれたりしながら勉強させられる日々は、まだ10歳や11歳だった私の心身を次々と蝕んだ。 小学校の登校時間は8時25分なのに、私は8時15分になっても起きることができなかった。肩と背中が凝り固まって重く、立つと目の前がちかちかとして立ち眩みが起きた。今思えば、これは自律神経の乱れによる「起立性調節障害」と呼ばれるものだろう。だから私は遅刻をよくしていた。朝礼で校庭に全校生徒が集まる中、校長先生が朝礼台で話をしている後ろをぼーっとした表情で横切って下駄箱に向かう私のことをクラスメイトがおぼえていて、十数年後に話して聞かせれくれた。そう言えばそうだったかもしれないと、私は哀しくなった。 私の自慢は両目の視力がとても良いことだった。「よくあんな遠くのもの見えるね」「目が大きいから視力がいいのかな」と友達に言われて私は得意だった。しかし眠くなっても目が疲れてもやめさせて

    教育虐待 中学受験で私は死んだ2 - 考えるつゆくさ
  • 教育虐待 中学受験で私は死んだ1 - 考えるつゆくさ

    小4から始まった私の中学受験で、母親はますます狂人と化した。あれはギャンブル中毒と同じだった。彼女は元来、勝ち負けに異様にこだわる。株にのめり込んで、朝から晩まで家事も子育ても何もかも放棄し、新聞とニュースにばかりい入り、貯金をどんどんつぎ込んで、数百万を失った時期もある。 私の通っていた小学校は文教地区にあり、クラスの多くの子供が中学受験をした。毎週日曜に行われる四谷大塚の全国模試には、皆で駅に集合し20名くらいの団体でぞろぞろと連れ立って行っていた。 大人になってから彼らと中学受験の頃のことを話すと、皆「楽しかった」と言う。「お母さんが自分をサポートしてくれるのが心地よかった」「母と子で協力し合っているかんじが嬉しかった」「勉強だけしていれば良かったから楽だった」など。 トラウマになっていたのは皆の中で私だけだったので愕然とした。私はあの時に「自分は一度死んだ」と思っている。 全国模

    教育虐待 中学受験で私は死んだ1 - 考えるつゆくさ
  • 子供なんて死んでもいい 食事を用意しない毒親 - 考えるつゆくさ

    事をまともに用意してくれない母親だった。べることは生きること。子供なんて死んでもいいと思っていたのかもしれない。 小学生の時、私は朝、何もべずに出かけていた。彼女は朝を出さないくせに、家を出ようとする私の背中に「何もべないと貧血になってみんなの前で倒れるよ!」「何もべないとみんなに口が臭いって言われるよ!」などの脅しや嫌味の言葉だけは存分に浴びせかけた。 私は給をできるだけたくさんべた。何度もおかわりした。「痩せの大いだね」とクラスメイトに言われたが、そうせざるをえなかった。家に帰ってもおやつなんて出されたことはないし、夕飯だっていつべられるかもわからなかったからだ。 彼女が毎日、事もまともに用意せずに家で何をしていたかというと、リビングにあるテレビの真ん前に寝転がって、又は立膝をして座り込んで、げらげらと下品に馬鹿笑いしながら、音をたてて緑茶をすすり、お菓子をぼろぼ

    子供なんて死んでもいい 食事を用意しない毒親 - 考えるつゆくさ
  • 「毒親」「親ガチャ」と言うほかない実態がある - 考えるつゆくさ

    毒親」とか「親ガチャ」という言葉に目くじらを立てる人たちがいるが、彼らは新聞を読んだりニュースを見たりしない人たちなのだろうか。親による子供の虐待の報道があれほどなされているのに。それとも、そういうのを読んだり見たりしても、心を動かされることも、何か深い思考をするようなこともできない人たちなんだろうか。 私の毒親である両親のこんなエピソードを読んでも、目くじら人たちはまだ「親」と呼ばれる人たちのほうが正しいと思うんだろうか。以下は二千三千、おそらくもっとある、彼らの醜く愚かしいエピソードの中のひとつです。 -------------- 東日大震災の日、東京郊外の私の町でも残念ながら1名の方が亡くなられた。ちょうど訪れていらした都心の会館の天井崩落によるものだった。夜にはその方のお名前が、住まいである私の町の名前とともに報道されたようだ。 翌日、朝から私の母親が町内会名簿や町内の地図、電

    「毒親」「親ガチャ」と言うほかない実態がある - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/02/17
    「毒親」とか「親ガチャ」と嘆くほかない子供たちに対して、まだ「わがまま」だとか「甘えてる」だとか「言い訳するな」だとか「もっと不幸な子供は世界中にいる」だとか言うんだろうか。
  • 乳がん治療の記録【44】シバリング(全身麻酔後の体の震え)について - 考えるつゆくさ

    手術は室温の低い部屋で行われているそうです。患者は裸なので、どうしても体は冷えてしまいます。特に足や手などの末梢は冷たくなりやすいです。来なら体が冷えると自身の体温調節機能が働きますが、全身麻酔によりその機能は停止中。 なので手術が終わると、体は元の体温に戻そうとして一気に奮闘し出します。体を震えさせることで発熱させようとします。発熱させると酸素もそれだけ必要になるので、呼吸が苦しくなります。 シバリングが起こっている時にかけられた電気毛布は暑く感じましたが、やはり必要なアイテムのようです。すごく暑いけれど、すごく寒い。それはそのせいなのです。 もともと冷え性な人、特に抹消が冷えやすい人、また、乗り物酔いしやすい人、そして女性のほうがこういった麻酔後の反応が出やすいとのこと。私は全て該当・・・。 朝日のまぶしさに目を開けると手術が終わっていた、というのはドラマの話のようです。同性の友人

    乳がん治療の記録【44】シバリング(全身麻酔後の体の震え)について - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/29
    もともと冷え性な人、特に抹消が冷えやすい人、また、乗り物酔いしやすい人、そして女性のほうがこういった麻酔後の反応が出やすいとのこと。
  • 乳がん治療の記録【43】立つ、そして食べる - 考えるつゆくさ

    早朝、まだ暗かったのですが、懐中電灯を持った看護師さんが来て下さり、カテーテルがはずれました。私をベッドに拘束するものがやっととれました。 看護師さんに支えられながら、ゆっくりと起き上がりました。18時間ぶりに立ちます。余裕で立てました。朝はおかゆです。36時間ぶりの事です。 隣のベッドのMさんと昨夜について、「腰が痛かったですね」「寝返りもできずしんどかったですね」と気持ちを分かち合いました。隣室のSさんにも廊下でお会いし、「長い夜でしたね」と言うと、深くうなずいておられました。 午後には点滴もはずれました。管がささっていたところが小さなあざになっていましたが、Mさんは大きなあざになっていました。「これをさした麻酔科の先生がチャラくて、さすのも下手だった」らしいです。どれくらいチャラかったのか気になります。 朝がゆ

    乳がん治療の記録【43】立つ、そして食べる - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/29
    36時間ぶりの食事です。
  • 乳がん治療の記録【42】絶対安静の長い長い夜 - 考えるつゆくさ

    手術が終わったのは夕方で、これから絶対安静の夜が始まります。寝返りすらできません。精神的にもつらいけれど、腰も痛くなるし背中も凝るしで身体的にもとてもつらいです。寝たきりの生活というのはこうことなのだなと身をもって知りました。 隣のベッドのMさんの「痛い~」「は~」というつぶやきが断続的に聞こえます。けれど寝息も聞こえます。私は一睡もできませんでした。 2時間おきに看護師さんが様子を見に来て、点滴を変えたりして下さります。忘れずに来て下さるのがありがたいです。点滴は吐き気止め、痛み止め、抗菌剤、栄養剤などを次々としているとのこと。これだけしたらお小水がすごそうですが、カテーテルなるもので自動排出されているらしいです。 ウォークマンでラジオを聴きました。いっぱいつながれている管にイヤホンのコードがからみます。無線にするべきだったか・・・。ラジオを聴きながら、あと何時間で朝になるかを逆算しなが

    乳がん治療の記録【42】絶対安静の長い長い夜 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/29
    動けるってありがたい、寝返りできることすら尊い。そんなあたりまえのことを知った長い長い夜でした。
  • 乳がん治療の記録【41】不安を感じさせる呪い - 考えるつゆくさ

    手術後のシバリング(全身の震え)もおさまってきたものの、心はパニックのままでした。 そうだ、私はもともとメンタルが弱かった・・・。いくつもの管でつながれてベッドに拘束されていることにも不安を感じ始めました。 火事や地震やテロが起きたらどうしよう・・・。殺人鬼が来たらひとたまりもないよね・・・。無理に走ったら傷口はどうなってしまうの・・・。また過呼吸が起こりそう・・・。 巡回にいらした看護師さんに弱々しい声で不安を伝えました。「大丈夫ですよ」と看護師さんはおっしゃりました。少しあきれているようでしたが、確信のある「大丈夫ですよ」に、大丈夫な気がして落ち着いてきました。 もし母親が、幼いころから私に「大丈夫だよ」と言ってくれる人だったら、私はこんなに不安を感じやすい人にはならなかったのではないかとよく思います。「どうなるかわからないよ!」「どうせだめになる!」と醜い顔で脅してばかりの母親だった

    乳がん治療の記録【41】不安を感じさせる呪い - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/13
    母親がなぜ呪いのようにネガティブな言葉ばかりを浴びせかけたのか、大人になった今も、私はずっとずっと考えています。
  • 乳がん治療の記録【40】手術直後/シバリング - 考えるつゆくさ

    乳がんの全摘手術の麻酔から覚めて最初に感じたことは「気持ち悪い」でした。そして見えたものは、乗せられたストレッチャーから見上げた先生方のお顔でした。 「気持ち悪い・・・」としぼりだすように言いました。ストレッチャーで右に左に走らされるとさらに酔います。「病室で吐き気止めの点滴をしますからね」と聞こえました。「シバリングが起きてる」という声も。 シバリング?体がすごい震えているけど、もしかしてこれがシバリング?英語で表記すると・・・Shivering?あぁ、きっとそうだ。たしかにShiverしてる、ひどくShiverしてる・・・。 電気毛布をかけられました。暑い!でも全身が冷えきっていて震えます。寒い!どっち?? 呼吸が苦しくて、汗がとまりません。酸素マスクがつけられました。手足がガタガタと揺れ、歯はカタカタと音が鳴ります。パニックです。そしてなにより気持ちが悪い。去ろうとする看護師さんに「

    乳がん治療の記録【40】手術直後/シバリング - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/13
    「シバリングが起きてる」
  • 乳がん治療の記録【39】左乳房全摘手術 - 考えるつゆくさ

    同室のMさんが私よりも先に手術です。Mさんは昨日も今朝もとてものんびり構えていらしたのに、手術に呼ばれる5分前になって急に「どうしよう!緊張してきちゃった!」とあわて出したのがちょっと可笑しかったです。「がんばって!」とお見送りしました。 知人・友人たちからLINEが届きます。この病院の方向に向かって祈りを送ってくれているそうです。私はそれらをキャッチしました。 看護師さんが迎えに来て下さり、徒歩で手術室へ向かいました。手術室は機械がいっぱいあって、近未来の宇宙船内のようでした。 なまぬるい台の上に横たわりました。ゼリーのような柔らかい輪っかの枕に頭を乗せました。右手に点滴が刺され、麻酔科の先生がもくもくと煙が出るマスクを口の前にかざすと・・・意識がなくなりました。 と思いきや、ふと、また意識が戻りました。数人の先生方が青い手袋や手術着を身に付けているところでした。「み、見えているんですけ

    乳がん治療の記録【39】左乳房全摘手術 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/13
    看護師さんが迎えに来て下さり、徒歩で手術室へ向かいました。
  • 乳がん治療の記録【38】手術当日の女子会 - 考えるつゆくさ

    今日は手術です。さようなら、左胸。寂しいです。44年間いっしょに生きてきたので。でもここにがんがあるのはもっと嫌です。 500mlのペットボトルの経口補水液を2渡されました。今日の事はこれのみです。 同室の4人と病室の中心に集まっておしゃべりしました。60代のDさんは今日退院されます。同じ日に手術を受けた方々はすでに退院され、ひとりだけ入院が長引かれていたそうです。手術した箇所には血液やリンパ液などを排水するために管(ドレーン)がさされるのですが、その排水がなかなか終わらなかったのだそうです。 Kさんが「ドレーンの量は胸の大きさに比例するようですよ」とおっしゃっていて、たしかにDさんは胸が大きい方でした。「じゃあ、私は胸が小さいからすぐ終わる!」「私も!」「私もだ!」などと言ったりして、みんなで笑いました。 Dさんが退院されると、次にNさんという20代の女性が入院して来られました。手術

    乳がん治療の記録【38】手術当日の女子会 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/13
    「乳がんになる人は優しくてかわいらしくていい人ばかりなんだわ」と自分に都合良く定義づけをしてみました。
  • 乳がん治療の記録【37】全身麻酔とはそういうもの - 考えるつゆくさ

    Kさんが手術を終えて戻って来ました。数時間前まで明るくしゃべっていたのに、意識朦朧としてベッドに横たわってぐったりしていました。 のどが渇いていないかな、気持ち悪くないかな、痛くないかな、と心配になりました。全摘をした胸を見たらどう思うかな、とも・・・。 Kさんは今晩は絶対安静で、ベッドから一歩も動けないばかりか、寝返りもほとんどできない状態です。つらかろう・・・と胸が痛くなりました。とはいえ明日はわが身。また気持ちが落ち込んできました。 お医者さんをしている友人から「全身麻酔ってそういうものだし、そのほうが体は楽なんだよ」とLINEが届きました。たしかにそうなのかも。そしてKさんは少しずつおしゃべりができるようになってきました。ほっとしました。 就寝時間は9時です。眠れません。窓際のベッドでしたので、ブラインドの隙間から月が見えました。深夜ラジオを聴いて、早朝ラジオも聴いて、少しだけうと

    乳がん治療の記録【37】全身麻酔とはそういうもの - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/09
    お医者さんをしている友人から「全身麻酔ってそういうものだし、そのほうが体は楽なんだよ」とLINEが届きました。
  • 乳がん治療の記録【36】かっこいい核医学検査 - 考えるつゆくさ

    同室のKさんが手術へ行かれます。看護師さんといっしょに徒歩で向かいます。医療系ドラマでよく見るようなストレッチャーで運ばれるかんじではないようです。「がんばって!」とKさんのお見送りをしました。 核医学検査室にまた行き、大きな機械の下に横たわりました。3時間前に注射した、放射線を発する薬が流れ着いた先を写せるカメラで撮影します。これでリンパ節の位置が特定できるなんて、“核医学検査”というのは名前も内容もかっこいいです。関係ありませんが、撮影技師のお兄さんもかっこよかったです。 ちなみにその放射線を発する薬は自然に体外へ排出されるそうですし、そもそも明日の手術で、流れ着いた先のリンパ節は切り取られます。 リンパ節の位置を特定

    乳がん治療の記録【36】かっこいい核医学検査 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/09
    リンパ節の位置が特定できるなんて、“核医学検査”というのは名前も内容もかっこいいです。
  • 乳がん治療の記録【35】生検のための痛い注射 - 考えるつゆくさ

    同じ明日手術のMさんとセンチネルパネル生検(リンパ節に転移があるかどうかを調べる検査)のための注射を受けに、核医学検査室なるかっこいい名前の検査室へ行きました。 この注射の薬は微量の放射線を発する物質で、それらが目的地であるリンパ節に3時間後くらいに流れ着くのだそうです。その時にまたこの検査室に来て、放射線をとらえるカメラで撮影をし、薬の位置、すなわちリンパ節の位置を特定するとのこと。“核医学検査”とはその薬を使った検査のことをさすようです。 しかし、その注射が非常に痛いと聞いています。乳輪に痛み止めの絆創膏を貼り、そこにさすらしいのですが、2、3秒とは言え、怖くて怖くてたまりません。でもMさんといっしょだから怖さは半減。さらに同じく明日手術の隣室のSさんという方も合流されたので3分の1です。 Mさんが「私が最初に行く!」と勇ましく検査室へ行かれました。Sさんと二人で廊下の椅子で待っている

    乳がん治療の記録【35】生検のための痛い注射 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/09
    センチネルパネル生検(リンパ節に転移があるかどうかを調べる検査)のための注射を受けに、核医学検査室なるかっこいい名前の検査室へ行きました。
  • 乳がん治療の記録【34】乳がんに対するリアクションの違い - 考えるつゆくさ

    同室の向かいのベッドのKさんとご挨拶をしました。少し年上の同じ40代で、数時間後にもう手術なのだそうです。 「怖くないですか」と聞いたら、「うーん、そうでもないんだよねー」とおっしゃいました。「乳がんと知った時、ショックじゃなかったですか」と聞いたら、「うーん、そうでもないんだよねー」とおっしゃいました。 Kさんは石灰化があると15年間言われ続けていて、2年ぶりに受けた今年の検診で1㎝のしこりが見つかったそうです。私と同じ全摘手術をされます。 私が入院したすぐ後に来られたMさんは50代。手術は私と同じ明日で、非浸潤がんで同じく全摘手術だそうだ。 「怖くないですか」と聞いたら、「うーん、私よくわからないんだよねー」とおっしゃいました。「乳がんって知った時、ショックじゃなかったですか」と聞いたら、「うーん、私よくわからないんだよねー」とおっしゃいました。 あれれ?なんだかお二人とも私のような悲

    乳がん治療の記録【34】乳がんに対するリアクションの違い - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/09
    なんだかお二人とも私のような悲壮感がない・・・
  • 乳がん治療の記録【33】入院当日/血液型について - 考えるつゆくさ

    入院の日の朝。不安で一睡もできないまま病院へ。受付で10万円の預り金を払いました。退院時、ここから入院・手術費を引いたおつりが戻ってくるというシステムになっています。そして教えられた番号の病室へ。 病室には4つのベッドがありました。そのうち2つのベッドのカーテンが閉まっていて、中には人がおられるようでした。 看護師さんが来られ、リストバンドを渡されました。そこには私の名前と血液型が書かれていました。血液型には“AB型”と書いてありました。 「私、B型なんですが・・・」「え?血液検査ではAB型と出ていますよ?」「え・・・。取り違えでは・・・?」 急遽、再度採血して検査していただくと・・・AB型でした。疑ってしまって申し訳なかったです。 40年以上にわたってB型と思いこんで生きてきたので、アイデンティティが揺らぎました。「ほんとマイペースなB型だよね~」「さすがB型。仲間!」などと友人たちに言

    乳がん治療の記録【33】入院当日/血液型について - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2021/10/04
    血液型は不明のまま生きていてもなんら問題ないそうです。