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2010年3月19日のブックマーク (3件)

  • Dialog 第9回研究会(2004/1/31)

    home concept activities member newsletter record COE top 9th Meeting / 第9回研究会 沈黙における対話の可能性 今村 純子 (宗教学OD) はじめに 昨年9月、善/悪、我々/彼らの二元論を告発し続けたアメリカ在住のパレスチナ人、エドワード・W・サイードが急逝した。『現代思想』(青土社)11月増刊号は、「サイード特集」を組んだのであるが、このなかで、在日朝鮮人作家の徐京植のごく短い文章が、ひときわ異彩を放っている。「日人がいったいどれだけサイードを理解できるか私は疑問である」、「共同体の自明性に安住しているマジョリティにはマイノリティの苦悩は分からない」、「日の植民地支配の結果による在日朝鮮人が日々感じている<ぎこちなさ>を理解できずに、サイードのそれだけを理解できるわけがない」、とサイードを追悼する静謐な暖かい文章の

  • Dialog 第3回研究会(2003/02/18)

    home concept activities member newsletter record COE top 3rd Meeting / 第3回研究会 証言から歴史へ - 対話の臨界に立って -(1) 杉村 靖彦 (文学研究科 宗教学専修 助教授) われわれの研究課題は「新たな対話的探求の論理の構築」となっている。だが、この題目自体が、われわれが直ちにこの構築作業へと着手するわけにはいかないことを示している。なぜ、現実に対話を実行しようと努める前に、「新たな対話的探求の論理」を求めなければならないのか。すでに行われている対話をより効率よく進めるための方法論が求められているにすぎないならば、「新たな」という形容詞はきわめて軽いものになってしまうであろう。「新たな対話的探求の論理」が問われるということは、そもそもこれまで考えられてきた「対話」なるものが根的に問題をはらんでいるということで

  • Dialog 第7回研究会(2003/10/19)

    home concept activities member newsletter record COE top 7th Meeting / 第7回研究会 対話の中の「わたし」 ― わたしがわたしにもたらす揺らめきをめぐって 佐藤 啓介 (文学研究科 キリスト教学専修 博士後期課程) 1. はじめに 「対話」が成立するためには、何が必要だろうか。 対話 dia-log というからには、対話の参加者としての人間が少なくとも二人以上必要である。同時に、対話 dia-log というからには、話しあうことを可能にさせる言語(手話や書き言葉なども含め)が必要である。さらには、対話が行なわれる場が必要である。このような三つの要件が満たされている状況が、対話の基的な構図であろう。無論、この基的な構図はいくらでも多様化しうる。参加者が双方向的に発話しうるのか話し手-聞き手の立場が固定されているのか、言