アカウントのことを垢っていうのよく考えたらすごく不潔 なんで赤じゃなくて垢なんだろう 不潔って言葉もよく考えたらすごく不ケツ
「理論」とは何ですか? そう他人に聞かれたら、あなたは、なんと「説明」しますか? ・ ・ ・ わかっているようで、わかっていないものに「理論とは何か」ということがあります。 先だって、國分康孝氏の「カウンセリングの理論」を再読する機会がありました。この本は、國分先生が、折衷主義の立場から古今東西のカウンセリング理論を解説している名著なのですが、その一説に、「理論についての説明」がありました。 お読みいただいたらおわかりになると思いますが、とてつもなく「力強い書」です。無駄な文章は何一つなく、明晰、かつ、明瞭に文章が綴られています。そして、その中に「理論がなぜ必要か」についての説明があります。 以下、同書の記述にいくつか加筆をしつつ、理論とは何かについて、紹介しようと思います(國分「カウンセリングの理論」より下記適宜引用) 曰く、 わたしたちの世界には、まず「現象」というものがあります。 現
The Feminist Care Tradition in Animal Ethics: A Reader 作者: Josephine Donovan,Carol J. Adams 出版社/メーカー: Columbia Univ Pr 発売日: 2007/11/01 メディア: ペーパーバック 購入: 1人 クリック: 1回 この商品を含むブログを見る ヴィーガンフェミニズム論争とは何だったのか ・上記のSutaro氏の記事にも書かれているように、Twitterにてフェミニストのシュナムル氏が「ハーゲンダッツを食べた」という旨の発言をしたことに対して、ヴィーガンのRac氏が「フェミニストなのに乳製品を肯定するのか」と批判しことをきっかけに、ヴィーガニズムとフェミニズムに関わる議論がにわかに巻き起こったようだ。その議論にはいわゆるTwitter論客も多数参加していたようだが(そして、その大
落語をときどき聴きにいくようになりました。 20代くらいの頃は、漫才やコントはさておき、落語には、まったく興味がわかなくて、時間は長いし、背景はわからないし、この時代に落語を聴くなんていうのは「古典芸能に理解があることをアピールしようとしている腐れインテリ」みたいだな、と思っていたんですよ。 でも、40代も半ばになって、あらためてこの世界に触れてみると、落語というのは噺の内容そのものだけでなく、演者の個性というか、「どう客に聞かせるか」を楽しむものなのだな、ということがわかってきました。 率直に言うと、昔の落語の「ネタ」って、いま聴いても、そんなに面白くはないと思うんですよ。 少なくとも、それが作られた時代にリアルタイムで聞いていた人たちと同じ感覚では、楽しめない。 でも、その「そんな現代的ではないネタを、面白く聴かせる落語家の話術」は、本当にすごい。 まあ、こんなことを書きながら、僕自身
ゲームの開発中には、たくさんの予期せぬ問題が発生するものである。 策定した仕様が他の仕様と矛盾していたり、突如、新たな仕様を策定する必要が出てきたり、致命的なバグが発生したりといったことである。 そして、それらの問題を解決するにあたり、様々なタスクが発生する。 そのタスクの担当を決める際に、その問題に「気づいた人がやる」という実に日本的な悪しき習慣にもとづいているプロジェクトが未だにある。 今回は、「気づいた人がやる」という方針がいかに害悪があるかを考えていく。 スポンサードリンク 害悪①:気づいている人に仕事が集中する 害悪②:得意な人が対応できない 害悪③:やらかしている人間が成長しない 害悪④:「気づく人」はいなくなる まとめ 害悪①:気づいている人に仕事が集中する 問題に気づいた人ばかりがどんどん新たな仕事を抱えることになり、気づかない人に仕事がまわらなくなる。 気づく人にタスクが
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