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ブックマーク / number.bunshun.jp (11)

  • フワちゃんのプロレスは“芸能人の挑戦企画”を超えた? 美しいフォームと受身、コメントから見えた“真摯さ”「覚悟が決まるまで大口叩かない」(橋本宗洋)

    「100点」のデビュー戦もフワちゃんは納得していなかった タッグを組んだ、スターダムのコーチでもある葉月も「100点」の評価。実は試合前から、そのポテンシャルを称えていた。 「フワちゃんはもう、プロレスの才能の固まりですね。“芸能人が中途半端にやってるだけだろ”と思う人もいるでしょうけど、全然そんなことないです。フワちゃんの才能は運動神経と負けん気。普通なら尻込みするようなことも“一回やってみます”とトライできるんです。やってみて納得できなかったら何回でもやりますし」 そんな中で、誰よりも納得していなかったのがフワちゃん自身だった。 「私も物のプロレスラーになりたい。テレビ(の企画)でプロレスやって負けて、いい話に編集してもらって、それで終わりじゃ嫌です!」 試合直後にそう訴えた。すぐに練習を再開、横浜アリーナでの2戦目が決まる。カード発表会見でフワちゃんは言った。 「芸能人が呼ばれてや

    フワちゃんのプロレスは“芸能人の挑戦企画”を超えた? 美しいフォームと受身、コメントから見えた“真摯さ”「覚悟が決まるまで大口叩かない」(橋本宗洋)
  • 「ムタと武藤を同時に撮りたい」カメラマンの無茶ぶりにグレート・ムタはどう答えた? 34年の歴史に幕、“悪の化身”が魅力的だった理由(原悦生)

    格闘技 プロレス 「ムタと武藤を同時に撮りたい」カメラマンの無茶ぶりにグレート・ムタはどう答えた? 34年の歴史に幕、“悪の化身”が魅力的だった理由

    「ムタと武藤を同時に撮りたい」カメラマンの無茶ぶりにグレート・ムタはどう答えた? 34年の歴史に幕、“悪の化身”が魅力的だった理由(原悦生)
  • 「プレッシャーも凄かったはず」フワちゃんデビュー戦で見えた“プロレスへの本気度”…師匠が明かす舞台裏「100点満点。努力の成果です」(橋本宗洋)

    タレントでYouTuberのフワちゃんが、スターダムのリングでプロレスデビューを果たした。9月11日の大会で人がリングに登場し参戦発表すると、当然のように賛否両論となった。 芸能人がプロレスデビューすることは珍しくない。スターダム自体、グラビアアイドルの愛川ゆず季がプロレスデビューしたことがきっかけになって生まれた団体だ。またアクトレスガールズという団体は、演劇やアイドルの世界から選手候補をスカウト。中野たむやなつぽい、ひめか、現アイスリボン王者の安納サオリといった人気レスラーを輩出している。 もちろん「プロレスは芸能人が片手間にできるようなものなのか」という否定的な見方もある。試合や練習ぶりを知らなくても言える批判だから、つまりは偏見混じりでもあるのだが。

    「プレッシャーも凄かったはず」フワちゃんデビュー戦で見えた“プロレスへの本気度”…師匠が明かす舞台裏「100点満点。努力の成果です」(橋本宗洋)
  • 爆発ヒット『地球の歩き方 東京』の“幻の五輪ページ” 「800ページで作りませんか」「君、正気か?」(田口大貴)

    「満員電車は東京名物ともいうべきものだが、甘く見てはいけない」 「何も買わずに我慢できるなら買い物代はゼロ。しかし、東京には誘惑が多い。(中略)予算オーバーしてまで買うべきものかどうか熟考しよう」 子どもじゃないんだからわかってるよ、と思うだろうか。 ではこれはどうだろう。 「丸ノ内線 路線の色はイギリスのたばこの箱に使われていたレッド」 「有楽町線 路線の色は、都心のオフィス街などをイメージしたゴールド」 「南北線 路線の色は、沿線に点在する日庭園をイメージしたエメラルド」 丸ノ内線がおしゃれすぎる。そして有楽町線を黄土色の路線と呼んでいてごめんなさい。 「経験したことのないスピードで部数が」 こんな東京のあれこれが詰まった、『地球の歩き方 東京』が今売れている。ご存知の方も多いだろうが、『地球の歩き方』は圧倒的な情報量が特徴の海外旅行用ガイドブックシリーズ。海外旅行者のバイブルとも

    爆発ヒット『地球の歩き方 東京』の“幻の五輪ページ” 「800ページで作りませんか」「君、正気か?」(田口大貴)
  • 職人アニメーター西尾鉄也が語る、「人の身体のかっこよさを描くこと」(宮田文久)

    躍動する人間の身体を、アニメーションで描く――。 その道の第一人者にして、尋常でないこだわりを持つアニメーターがいる。その名を、西尾鉄也。キャラクターデザイン・作画監督を務めた代表作『NINKU-忍空-』のほか、『NARUTO-ナルト-』といった人気作品にも参加。現代日のアニメーション界を背負って立つひとりである。伝説的なアクションシーンも数多い。 アスリートの身体をどう伝えるかを日々考える編集部は、ぜひ話を伺いたいと、インタビューという“異種格闘技戦”を申し込んだ。稀代のアニメーターが、意外なスポーツ好きの一面も覗かせながら語ってくれた、「人の身体のかっこよさを描くこと」の奥深さとは――!? ――いきなりのインタビューのお願い、お受けいただいてありがとうございます! 「スポーツメディアさんからの取材なんて初めてですよ!(笑) でも、普段とは違うお話ができるんじゃないかと思って、受けさせ

    職人アニメーター西尾鉄也が語る、「人の身体のかっこよさを描くこと」(宮田文久)
  • G1の勝者は棚橋弘至だったが……。中邑真輔が貫き通した、ある信念。(井上崇宏)

    7月16日に発売された『Number』は、14年ぶりのプロレス(新日プロレス)特集だった。その記念すべき特集の顔、つまり表紙を飾るプロレスラーは、史上初の“新日プロレス総選挙”と称したファン投票によって決められた。 投票結果は、棚橋弘至が4479票を獲得して1位に。2位は中邑真輔(4160票)となった。その差わずか319票ではあったが、「新日プロレスのエースは棚橋なのだ」と多くのプロレスファンが認めたという事実が強烈に残った。 他方で、7月25日に発売されたプロレス専門誌『ゴング』の表紙は中邑真輔。 こちらは「日が世界に誇る、別格の輝き第1位!」というキャッチを入れた。これはつまり、新日のエースは棚橋弘至、しかし、新日というブランドを世界に発信する際の顔役は中邑真輔なのだということ。このことは、北米やヨーロッパ各地の遠征先で中邑が別格の人気を誇っていることで証明済みでもある。だ

    G1の勝者は棚橋弘至だったが……。中邑真輔が貫き通した、ある信念。(井上崇宏)
  • あるプロレスラーの死地彷徨――。ヨシタツに降りかかった不運と幸運。(菊地慶剛)

    ヨシタツというプロレスラーをご存知だろうか。 名は山尚史(なおふみ)。2002年3月に新日プロレスに入門し、同年10月にデビュー。'07年11月から無期限の海外遠征を経験した後、翌年2月に新日を退団し、同年4月に世界最大のプロレス団体WWEのトライアウトを受験し、自らの力で契約をもぎ取ったレスラーだ。 リングネームを「ヨシ・タツ」に変えて米国で格デビューすると、世界各地から一流レスラーが集結するWWEで、コネはない、英語もほとんど喋れないところから、壮絶なサバイバル競争の日々に明け暮れるようになった。 昨年6月にはWWEを離れることとなったが、米国ではトップレスラーとして多くのファンの心に残るような存在となっていた。実際に当時は凄い人気で、彼のツイッターアカウントは世界各地の32万人ものファンからフォローされるほどだった。 なぜプロレスラーは怪我を隠すのか? そんなヨシタツが昨年

    あるプロレスラーの死地彷徨――。ヨシタツに降りかかった不運と幸運。(菊地慶剛)
  • 伊東勤、ロッテ監督就任の衝撃。60年前の恐怖の因縁、復活か!?(村瀬秀信)

    ロッテ監督就任にあたって「日一を勝ち取れるチームを作る。派手さは不要、守り勝つ野球をやりたい」と語った伊東氏。重光昭夫オーナー代行は「我々、千葉ロッテマリーンズも目指すべきは常勝チームを作り上げることです」と言葉を添えた。 ことを遡れば、ちょうど60年の昔。 1952年7月16日。それは雨天の平和台球場において行われた、西鉄ライオンズvs.毎日オリオンズでのこと。日没によるノーゲームを狙った毎日・湯浅禎夫総監督による4回裏からの明らかな遅延行為が平和台のファンの逆鱗に触れ、ノーゲーム宣告後にライオンズファンが暴徒と化して毎日の選手を襲撃した、いわゆる「平和台事件」からはじまった因縁だと言われている。 そして'70年代。黒い霧事件で揺れたライオンズは、人気回復にその遺恨を活用する。 当時のロッテオリオンズ・金田監督に「スタンドを刺激してほしい」とライオンズのフロントが依頼。世紀のエンターテ

    伊東勤、ロッテ監督就任の衝撃。60年前の恐怖の因縁、復活か!?(村瀬秀信)
  • 監督と火花を散らしてまでも貫いた、権藤博の揺るがぬ「ダンディズム」。(鷲田康)

    若手の育成や山井の抑え起用など手腕を発揮し、投手王国と評される中日の投手陣を束ねたが、その一方で高木監督と対立することも多かった。 「ダンディズム」という言葉を辞書で調べると、こう記述されている。 「おしゃれ、伊達に徹する態度。19世紀はじめ、イギリスの青年の間に流行したもので、その影響はフランスにも及んだ。また、その男性の生活様式、教養などへのこだわりや気取り」 ごくごく簡単にいってしまえば、いわゆる「かっこつけ」。ただし、ある種独特なこだわりのある「かっこつけ」ということになるのだろう。 今季限りで中日を退団した権藤博投手コーチは、この「ダンディズム」の固まりのような人である。 まだ松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースでプレーしていた4年前のことだった。スプリングキャンプを張っていた米・フロリダ州タンパに権藤さんが颯爽と現れた。 「きのう黒田(博樹。当時ロサンゼルス・ドジャース)を見て、

    監督と火花を散らしてまでも貫いた、権藤博の揺るがぬ「ダンディズム」。(鷲田康)
  • ベイスターズは変わったのか――。涙にくれた2012年を総括する。(村瀬秀信)

    あ゛……。 巨人・矢野謙次の放った打球がレフトへ高々と上がった瞬間、最後まで声を張り上げていたレフトビジター周辺の空気は、一年前とまったく同じように凍りついた。 10月7日東京ドーム最終戦は、長野久義の代打逆転サヨナラ満塁ホームランで終戦した去年に続き、2年連続サヨナラホームランでの幕切れとなった。しかも今年は、東京ドーム主催試合0勝という前代未聞のおまけ付き。 止まった時間の中で、巨人ファンが勝利の凱歌を挙げながら、オレンジのタオルを振りかざす。それらは、ベイファンから漏れる一斉のため息で、はたはたはたはた、たなびいていく。その光景は、まぎれもない、地獄。 試合自体は悪い試合じゃなかった。9回までは先発の加賀美希昇が熱投、マウンドに来ようとするデニーコーチ(友利結)を逆に睨み返すような気合で再三のピンチを乗り切ると、9回表には無死一塁で筒香嘉智に送りバントをさせて勝利への執念も見せる。だ

    ベイスターズは変わったのか――。涙にくれた2012年を総括する。(村瀬秀信)
  • 日本ハムが貫いたドラフトの信念。菅野騒動で問われる球団の姿勢。(中村計)

    津田敏一日ハム球団社長が菅野の指名権獲得を確認した瞬間。「スカウティングと育成で勝ち続けるのが、ウチのモットー」と胸を張った津田社長 当にそうだろうか。 先日のドラフト会議で、日ハムが東海大の菅野智之を先方に何の断りもなく指名したことについて、一部の関係者が「失礼だ」と憤慨しているという。 しかし、指名する場合、事前に監督等に連絡を入れるのは「礼儀」ではない。あくまで球界の単なる「慣習」だ。 どのような展開になるのかもわからないのに、指名するであろう選手にいちいち連絡を入れていたのではキリがない。おそらく今年も、何の連絡もないままに指名を受けた選手は菅野だけではないだろう。 そもそも日ハムでは、ドラフト当日まで、誰を指名するかを知っているのはGMを始めとするほんの数名の幹部だけだ。 日ハムのスカウト、岩井隆之が明かす。 「僕は横浜でもスカウトをしていたんですけど、日ハムにきてび

    日本ハムが貫いたドラフトの信念。菅野騒動で問われる球団の姿勢。(中村計)
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