寝殿造の全体像の例として堀河殿の復元図(太田静六1987復元)をあげておく。ある程度の史料的根拠があり、これから説明する要素も揃っているからである。 第一に、寝殿造でもっとも史料が残るのは東三条殿だが、堀河殿はそれに次ぐ。 第二に、世間一般ではこれぐらいのものが寝殿造と思われている。 第三に、東三条殿は本来の左右対称が崩れだした姿と云われるが、堀河殿はそれに比べれば一般の左右対称イメージに近い。 世間一般では寝殿造というと『源氏物語』の六条院復元図のイメージが強いが、あの復元図にはさしたる根拠はない。『源氏物語』が架空だからではなく、『源氏物語』の六条院に書かれていないものが復元されているからである。私は堀河殿をもって「これこそが寝殿造」などと云うつもりは無いが、六条院復元図を使うよりはましだろう。 なおこの屋敷は東三条殿と同様に南北2町の敷地であり最上級寝殿造の中でもトップクラスである。