by.Shinohara 2008.10.27 14:00 先日、世界最高(最低?)の記録となる通貨単位を100億分の1にデノミしたジンバブエですが、その天文学的なインフレ率により再び通貨単位が上昇してきています。 ジンバブエの超高額紙幣はどうなったのか? そして今どうなっているのか? を、写真を紹介します。 20万ジンバブエドル札の価値は10セント(約9円)未満。 2007年12月22日、50万ジンバブエドル札が登場しました。 75万ジンバブエドル札がこんにちは。 1月、1000万ジンバブエドル札ができました。それでも価値はわずか1ドル(約94円)。 コレ全部で650億ジンバブエドル。額にして2,000ドル(約19万円)。 この現金の山は100ドル(約9422円)の価値があります。 5000万ジンバブエドル札入りましたー。 はい、お次は2億5000万ジンバブエ
Chim↑Pomという芸術作家集団の作品についてちょっとした議論が起こっている。発端は広島の空に飛行機を使って「ピカッ」という文字を出したのが、広島の方々の反発を食らったという事件である。(註:これは完成作品ではなく、これを使って映像作品を作るのが彼らの目的だった。) ネット上の反応 http://d.hatena.ne.jp/knakano/20081024 http://d.hatena.ne.jp/miminoha/20081026/1224958014 まぁ倫理的によろしくない作品をめぐってよくある話。ホントは俺見たいな若輩者が書くんじゃなくて、誰か美学の先生がきちんとまとめたほうがいいんじゃないかと思うけど、とりあえず首突っ込んでみる。長いよ。 まず、芸術の定義についてなんか議論が錯綜してるっぽいから、ちょっと美学的な基礎をおさらいしておきますね。 「芸術の定義は不可能」という考
ちょっと前のことになるが「おまえが若者を語るな!(後藤和智)」(参照)がネットで少し話題になっていたので読んでみた。よくわからない本だった。賛否以前に、この書籍で何が問題なのかという部分でまったく共感できなかった。というか率直に言うとつまらなかった。ただ、このつまらさは著者の論のつまらなさというより、批判対象とされる部分のつまらなさということだ。巻末に参考書がずらっとリストされているのだが、いくつかの社会学的な分析を除けば、よくここまでつまんない本をきちんと読んで論が書けるものだなという敬服感すらあった。 なんなんだろうこの感じはと思って、あとがきに達して少し得心した。 多くの読者は、なぜ今更宮台真司などという、ほととんど忘れ去られた論者を批判するのか、と思われるかもしれない。 まさにその通りで、宮台真司の90年代の議論というのは忘却していいだけのものなのではないか。と、思いながらふと思い
Dropbox便利ですよね。自分もベータ版の時からずっと愛用しています。 しかしながら、Dropboxを使っていることすら意識をせずにデータを共有することができればもっと使い勝手はよくなるのではないでしょうか。 そんなことを思いつき、Dropboxとhowmを組み合わせて複数のマシン間でメモを完全同期する方法を試してみました。 Dropboxのアカウント設定をする(Windows or Mac) まずはDropboxのアカウントを持っていない方はインストール&アカウントを作成しておきましょう。 ほぼ対話形式で完了します。およそ5分ほどあればアカウントの作成は完了するでしょう。 Dropbox Dropboxのアカウント設定をする(Linux) Linuxデスクトップを使っている方もDropboxを利用することができます。 下記のLinkからrpmやdebパッケージを利用することができます。
ポスドク, 雑感 | 21:07 | アカデミアの研究の一線を退いた上に、海外のバイオテクカンパニーで働いている身分で、いまだに日本のポスドクネタでひっぱって申し訳ないのだけど、どんなに「博士」の価値が(日本国内で)低下しようとも、最前線の研究者として世界と渡り合うためには博士号の取得はミニマムリクワイアメントですよ、ということをここで記しておこうと思った。その逆に、世界を相手にしない研究なのであれば、別に博士号は必要ないし、ましてや借金までして取得するほどのものでもない(むしろ取得しない方がプラスに働く)。どちらが良くてどちらが悪いというのではない。自分が日本国内の市場を相手にすることに人生の意義を見いだせるのであれば、それはそれで良いと思うし、そうではなく、視線が国外を見ているのであれば、世界が「博士」をミニマムリクワイアメントとしている以上、その規則に従うしかない。特にアカデミアの研
知り合いの方から質問され、自分でもはたと考え込んでしまったのだが、研究紀要そのもの、あるいは研究紀要に収められた論文の動態についての「研究」というものが日本で行われているだろうか。一つ思い浮かんだのは、 ・土屋俊「二股に分かれた長い尻尾:NACSIS−ILLにみる日本の学術と機関リポジトリ」【PDF】 http://cogsci.l.chiba-u.ac.jp/~tutiya/Talks/020807drf_waseda.pdf だ。これは、 ・第2回DRFワークショップ「機関リポジトリをデザインする−設計とコンテンツ」(於・早稲田大学、2007-02-08〜2007-02-09) http://drf.lib.hokudai.ac.jp/drf/index.php?DRF2 で発表されたもので、統計による分析結果が衝撃的なのだが、後半部でそもそも研究紀要とは何かという議論が展開されている
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