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ブックマーク / sgtsugar.seesaa.net (14)

  • 計算が合わないのも、ピンチョンの計算のうち?: sgtsugar.com.blog

    『LAヴァイス』066ページに、およそこんなことが書いてある。 スコットはザ・コルヴェアーズというバンドの一員を組んでいけれども、メンバーの半数は北のヴァインランド郡方面へ移住し、残ったのが、スコット(『ヴァインランド』によれば、リードギター兼ボーカル)とドラマーのエルフモントだけだった。 これと、『ヴァインランド』の記述を足すと、ザ・コルヴェアーズは、こんなイメージになります。 スコット・ウーフ(lead guitar, vocal) ゾイド・ホィーラー(明記されないが多分 side guitar、ときどき vocal) ヴァン・ミータ (bass) エルフモント (drums) 「メンバーの半数」というのをどのくらい字句通りに取るかはともかくとして、自然に読めば4人のうち、2人が北へ行ってしまった、と取れる。 その二人とは、『ヴァインランド』によれば、ヴァン・ミータとゾイド。ソイドは片

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  • 『重力の虹』主な人物と組織のつながり: sgtsugar.com.blog

    先月29日の、ABC店でのトークイベントでお配りした「『重力の虹』配線図」、以下のページにアップロードされています。http://www.shinchosha.co.jp/book/537212/?select=free http://www.shinchosha.co.jp/book/537213/?select=free こちらのURLからは、配線図のファイル自体が直接表示されます。 http://www.shinchosha.co.jp/book/images/537212/GRmapcolor.pdf もともとA3用紙2枚を貼り合わせて描いたもので、A4のプリンタでは50パーセント縮尺になり、文字判別が苦しいかもしれません。パソコン画面で拡大すると、私のような老眼でも、きれいに読めます。 左上が第一部(White Vistation での研究調査の話が中心)、左下が第二部(モナコ

  • 彩流社『トマス・ピンチョン』: sgtsugar.com.blog

    木原善彦さま 公開礼状という形で失礼します。 お贈りいただいた『トマス・ピンチョン』、日届き、ほぼ読了しました。 ご存じかもしれません。この企画、三浦玲一さんからメールで誘われましたが、にべなくお断りしました。 それが三浦氏への最後の言葉になってしまったのを心苦しく思っていました。 氏の冥福をお祈りするとともに、その後を引っぱっていただいたご苦労に感謝します。 参加を遠慮したのは『重力』に専念すべき時期だった以外に、以下の理由からです―― 「作家ガイド」というのは、どうしてもコンパクトな記述を要求されるため、書き手の「論」が先行してしまう。 アカデミズムはそれでいいのですが、私のように、大学をやめ、スロータイムでリアルなピンチョンを表現するチャンスを与えられているものが、わざわざ飛び込む企画でもないように思えました。自分で用意した筋書きにピンチョンを押し込めるのは難しいです。巽さんのよう

  • 『重力の虹』の進行報告: sgtsugar.com.blog

    気がつけば9月が終わります。 『重力の虹』お待たせしています。 ブログなど書いている時間があったら、一パラグラフでも先に進もうと考えていましたが、お約束の季節になって、挨拶にまいりました。(キャジュアルな発言の場をもっているのが、どうも訳者だけのようなので) で、マラソンに換算すると、42.195キロの40キロ付近をただいま通過中です。 とはいえ、一日進めるのは、だいたい150メートルくらいがいいところ。 遊んでるみたいで恐縮ですが、このマラソンの比喩、なかなかうまくできていて、この小説は全部で30500行くらいあって、42195メートルをこれで割ると、138センチ。だいたい一行が歩のストライドになります。しかしこの一行に、10とか13とかいう数の単語があって、それがつくるフレーズは飛び越しちゃいけない、掘り返し、植え直しでいかなくちゃならない。そうするとやっぱり、138センチを、亀のスピ

    tweakk
    tweakk 2013/09/30
    おおお。
  • 中学高校でコミュニケーション英語をきちんと教えることの、文学研究にとっての価値について。: sgtsugar.com.blog

    (31日正午の調整バージョン)  魁皇は引退したが、われわれ研究者は、基的に、死ぬまで現役を強いられる。見込みのある若手が出てきても、そいつが甘い相撲をとっている限りは、えいこらしょと立ちあがって、負かさなくてはならない。それをしないと八百長になる。  波戸岡景太『ピンチョンの動物園』(p. 214)に、13年前の拙訳を直したものが載っている。「翻訳に当たっては、旧訳・新訳を問わず、また日語以外の諸外国語を含めて、入手可能な翻訳書はできるかぎり参考にしたが、最終的な責任はすべて引用者にある」と巻頭に書いてあるので、 その責任を問うてみたい。 《よくやく肩の力が抜けてきた彼は、毎日出歩き始めるようになった。そして思うのは、この土地こそはまさに俺たちが訪れる場所だったのだということ。転地療養のこの数年間は間違いではなく、土砂くずれや嵐に遭いながらも、なんとかこの地に馴染もうとしてきた苦労は

    tweakk
    tweakk 2012/01/30
    ちょっと陰湿「コミュニケーション英語の基本として中学校で教えるべきと思われるフレーズが身についていたとしたら避けえたであろう失敗が、一人の文学研究者の門出にちょっと暗い影を投げかけてしまったのは残念」
  • 脱SVO:心情の論理を追う翻訳術: sgtsugar.com.blog

    英語は(ヨーロッパの言葉一般、というべきか)SVOの構文的支配力が強い言語だということは、このブログでも繰り返し強調してきた。 「誰が」したのか、しているのか、ということを曖昧にしにくい言語と、日語のように、曖昧にしやすい言語があるということである。 英語で間接話法と直接話法の区別がしっかりしていたり、一人称の語りと三人称の語りが日語以上に明確である(ように思われる)のも、「誰が」「誰に対して」ものを言っているのかという意識が、構造的に、明確だからだろう。 Mary is worried that if she called Jack on the phone, he might not recognize her. 英語ではこれで非常にスッキリしているのだが、同じことを日語で言うとき メリーは、もし彼女がジャックに電話をしたとして、彼が彼女のことを認識しないのではないかということを

    tweakk
    tweakk 2012/01/29
    「英文の構造を保ったままでは、三人称の語り手と主人公との視点とが変に干渉しあってしまうことがある。それを避けるためには、できるだけ主人公のアクチュアルな思いにしたがってナラティブを組んでいくのが安全策
  • 『ヴァインランド』改訳中: sgtsugar.com.blog

    tweakk
    tweakk 2012/01/29
    なるほど。「自分なりの翻訳実験の結果は、幸福にも、河出書房の訳文で残るわけだし、改訳版ではシリーズとしての統一を大事にしたいと考えたい、そう思っていま作業を進めている」
  • 山本リンダのご退場:Vineland 新訳詞: sgtsugar.com.blog

    (25日11時改稿) 10月末に刊行予定の『ヴァインランド』を、新潮社さんは「決定訳」として謳うというので、原文に近づける努力をしている。 だが前訳で傍若無人に振る舞った--原文から遠いところがあっても、最終的な読書体験が close enough なら、その場その場のノリを選ぶという態度だった--ので、たいへんである。 河出版136ページに、アメリカの女ニンジャ(名はDL)がラルフ邸の結婚披露宴で、パンクバンド「ビリー・ゲローとザ・ヘドーズ」をバックに、ウージィ銃を手にして歌うシーンがある。そのナンバー、僕の "訳詞" はこうだった。 わたしは危険は女の子ぉ ウージィ手にすりゃクレイジィ! グーな中東の機関銃 ぶっぱなすたび、胸がプルプルーン モデルに負けないこの体 カーキにつつんで砂漠に出かけ ドゥドゥドゥドゥンドゥドゥ、ババババズーン、 あーん、もう止まらないー! 泡風呂浴びてトラブ

  • 神の光に掠われて--Vineland 旧訳の欠点補足: sgtsugar.com.blog

    今回刊行の『ヴァインランド』の訳文アップグレードで、一番ホッとしているのが、「携挙」と訳される、rapture について訳し込めたこと。 この言葉、「恍惚」という意味で、もともと「天国への連行」--a carrying of a person to heaven (Webster III)--というイメージがあるということは知っていました。 Vineland でこの語が最初に出てくるのは、バークレーのデモ隊と機動部隊との対峙シーンをフレネシがが撮影していて、間に一人残されてしまうところ。そこにDLがバッドな紅とシルバーのチェコ製モーターサイクル「チェ・ゼッド」に乗ってやってきて、フレネシを掠っていく。その部分、テクストに一言 Biker's rapture, for sure. とあるんです。これを僕は、 バイカーの恍惚。きっとそれにちがいない。(河出、世界文学全集版 p.151) と訳し

  • 告発じゃなく、告白にします。: sgtsugar.com.blog

  • 青春のサインはV.: sgtsugar.com.blog

    新潮社のPR誌『波』に、若島正さんが『V.』について書いている。題して「青春の『V.』」。ピンチョンが25歳のときに書いたこの小説を、同じ25歳の若島さんが読んだ。そのは「迷路にさまよっていた当時のわたしに、それでいいんだ、うろうろしていていいんだと教えてくれた」。 一冊の小説が若者を激励したり一筋の光明を与えたりするのは、ごくありふれた構図だけど、ピンチョンの作品の、ふだん語られることのあまりない「ハートへの効能」についてふれてくれる文章は、文字通りの意味で、有り難い。 つられて書くと、同じ年、若島さんより22カ月年長のぼくも、小田急線東北沢ー下北沢間の踏切の音がひっきりなしにしているアパートで『V.』と格闘していた。修士課程三年目で、その年のうちに修論を書き上げなくてはならなかったし、彼の場合に比べれば、動機はすでに社会化されていて、そのぶん青春度は低かったけれども、それでも(とっく

  • 本年最高の読書: sgtsugar.com.blog

    平石貴樹著『アメリカ文学史』(松柏社、600ページ、6800円+税) 今年いただいたの中で、ダントツ・トップの迫力があったです。 迫力があり、重々しく、革命的です。 というと、えっ? と驚かれるかもしれない。 これ、東大英文科で4半世紀、アメリカ文学を教えていた平石先生の、文学史のでしょう。読みやすい、わかりやすい、面白いってウワサですよね。それの、どこが……革命的? まあ「革命志向的」と言い換えましょうか。文章は淡々とクラシカルです。パトスは背後にある。そしてそのパトス、当然ながら、ちょっと不穏です。僕の印象も、まだまとまっていないので、以下の感想文、あとで整理して書き換えるかもしれませんが、とりあえず、勢いで書き殴った文章を、ほとぼりの醒めないうちにアップだけしておきましょう。 同じ東大英文科の若い同僚、阿部公彦が「半径2メートルで語る」というブログ書評を書いています。この「半径

  • 英語は日本語で、きめこまやかに教えよう: sgtsugar.com.blog

    人の英語教育をなんとかしようと思って、それなりに取り組んできたサトチョンの教師人生、結果としては負け続けていますが、今年もあきらめません。みなさん、たたかいましょう。 闘う相手は「考え方」です。むずかしくいうと「思考の前提」。 たとえば、《英語を日語で教えるから、へんな規則ばかり流通して、ちっとも練習にならない。英語英語で教えるべきだ》という思い込み。これはひどい。〈英語が十分できない人〉が、その不十分な理解を日語で説明しようとするからうまくないわけです。同じ〈英語が十分できない人〉が、彼/女の不十分な英語で生徒を指導したのでは、よけい可哀想なことになりませんか? はい、サトチョンの提案は、 英語の基礎を、まず日語でしっかり理解することです。以下に例を示します。 some と any some を使うか、any を使うかの問題は、よく「文型」に沿って説明されます。典型的なものの

    tweakk
    tweakk 2011/01/03
    「「やるといっても、何でもじゃないよ」という抑えの気持が some にはあるんです」 たしかに。微妙なソーシャルな含みがあっておもしろい。
  • sgtsugar.com.blog

    ラジオ高崎で新番組を始めました。 「ラジオ玉手箱」、 毎週金曜 11:00 AM からの番組で、11時25分くらいから、キーウィ佐藤が登場して、コアな話をいたします。お相手は、長年のパートナー、田野内明美アナ。 日放送したのは、昭和30年ころの黒柳徹子のぶっちゃけぶりということで、子供向けラジオドラマ「ヤン坊・ニン坊・トン坊」と「チロリン村とクルミの木」のピーナツのピーコちゃん、音入りで紹介しました。徹子さんが冴子さんを演じた「一丁目一番地」も。「一丁目一番地カルタ」というのがあって、「ラ」の札には冴子さんの絵が描いてあって、読み札は「ライスカレーならお手の物」です。 毎週、できるだけ誰もしらない話を持っていきます。 来週はジャスト50年前の朝日新聞をもって、社会面記事、求人欄、雑誌広告や映画の惹句などにコメントいたしましょう(西郷輝彦ショーで、5月に続いてまた入口での将棋倒しが起きて警

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    tweakk 2010/09/21
    佐藤良明氏blog
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