英語は(ヨーロッパの言葉一般、というべきか)SVOの構文的支配力が強い言語だということは、このブログでも繰り返し強調してきた。 「誰が」したのか、しているのか、ということを曖昧にしにくい言語と、日本語のように、曖昧にしやすい言語があるということである。 英語で間接話法と直接話法の区別がしっかりしていたり、一人称の語りと三人称の語りが日本語以上に明確である(ように思われる)のも、「誰が」「誰に対して」ものを言っているのかという意識が、構造的に、明確だからだろう。 Mary is worried that if she called Jack on the phone, he might not recognize her. 英語ではこれで非常にスッキリしているのだが、同じことを日本語で言うとき メリーは、もし彼女がジャックに電話をしたとして、彼が彼女のことを認識しないのではないかということを