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増田と自民党に関するtyosuke2011のブックマーク (3)

  • 石破茂の裏切りの歴史

    1)1981年 父の死後、真っ先に葬儀に駆けつけてくれた田中角栄氏の助言で政界を目指すも、田中派ではなく中曽根派からの立候補。 田中角栄を裏切る。 2)1993年 非自民の細川連立政権が成立。自民党が野党に転落すると、立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に「私はね、政権与党にいたいんです。自民党歴史的使命は終わった」と捨て台詞を吐き離党。 自民党を裏切る。 3)小沢一郎を「真の改革者」と称賛して新進党結成に参加するも、小沢一郎が党首に選ばれると、自分の考える政党と違うと総選挙前に離党。 小沢一郎を裏切る。 4)自民党に復党するも誰も相手にされず、伊吹文明が「石破君は仕事のできる人だから」と情けをかけて伊吹派に入れてあげるも、その後に入閣すると「閣僚が派閥に属するものはいかがなものか、派閥は旧態然としていると思いますよ」の捨て台詞で伊吹派を離脱。 伊吹派を裏切る。 5)麻生政権の閣僚を務めて

    石破茂の裏切りの歴史
  • 自民系の地方議員です。カネ配りについて書きます。

    自民系の三世議員(市町村議員)です。 河井夫事件について、元国会議員の豊田真由子さんや、金子恵美さんが地元でのカネ配り(先輩議員に地方議員にカネ配れとアドバイスされた)について発言しているので、地方議員側からの話をします。 もともと、業界には与野党問わず「目配り、気配り、カネ配り」という言葉があって、この3つができる政治家が優秀な政治家だとされていました。 でもそんな話は中選挙区時代(~1993年)であって、今はこの言葉すら死後になっています。 中選挙区時代のはなし今の話をする前に、すこし中選挙区時代の話をします。カネ配りはこの時代に盛んに行われたので。 中選挙区制は選挙区の人口によって定数が決まっていて、選挙の上位2人~6人くらいが当選します。なので、ひとつの選挙区から同じ政党の候補者が何人も出馬します。たとえば群馬3区では当選議席数が4で、自民党からは3人(福田、中曽根、小渕)が出

    自民系の地方議員です。カネ配りについて書きます。
  • 「政党があかんのは支持者の責任」という感覚を持つべき

    自民党が高支持率のうえで緩んできてたら それはやっぱり支持者が悪いわけよ。 支持者がちゃんと批判すべきところは批判していかんと。 自民党議員だって民進党議員や民進党支持してるような人間の言うことなんかあんま真面目に聞きませんよ。 「チッ うるせーな、反省してまーす」だよ。 もし俺が自民党議員でもそうなるもの。 民進党議員や民進党支持者からの注文やツッコミなんか真面目に聞かないね。 だって彼等は建設性もなにもなくイチャモンつけてくるだけだから。 どうせなにしてても反対なんだし。 仮に彼等の話に真面目に対応してもそれで評価されたり友好結べるわけでもないし。 最初から最後まで変わらず敵意マックスだし。 そんな連中はおちょくりながらシカトの一手が正しい。特に自分達が強い時は。 でも自民党の支持者からの注文はそうじゃないよ。 少なくとも民進支持者からの話よりははるかに真面目に聞く。 いかんでしょって

    「政党があかんのは支持者の責任」という感覚を持つべき
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