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ブックマーク / www.h5.dion.ne.jp/~terun (5)

  • 量子力学 多世界解釈 - 哲学的な何か、あと科学とか

    「シュレディンガーの」の思考実験の問題について、 1957年、当時、プリンストン大学の大学院生にすぎなかったヒュー・エヴァレットから、 とてつもなく画期的なアイデアが提示される。 そのアイデアはとてもシンプルなものだった。 「電子もも、あらゆるミクロの物質は、 可能性のまんまで、重なり合って多重に存在している、 ってのが、量子力学の結論なんでしょ? でもさぁ、『を観測している人間』だって、同じミクロの物質で作られているんだよね? だったら、なんで、 その量子力学の結論を 『人間』にも適用してあげないのさ」 それを聞いて、誰もが、はっとした。 それは、当時のどんな天才科学者たちも、みな見落としていたことだった。 よくよく考えたら、「を観測している人間」だって、 電子やと同じ物質で出来ているんだから、 「人間」にも量子力学を適用しなければ、公平ではないだろう。 「なぜ、誰も気がつかな

  • ユークリッドは、どうやってこの幾何学を作ったのだろうか : 公理 - 哲学的な何か、あと科学とか

    公理(1) 1830年頃 ユークリッド幾何学とは、 我々が、小学校や、中学校で学ぶ幾何学のことだ。 ようは、まっ平らな紙の上に描いた「点・直線・平面」などを 取り扱う図形の学問のことである。この幾何学の歴史は古く、 紀元前300年頃、エジプトの学者ユークリッドにより体系化された。 では、ユークリッドは、どうやって、この幾何学を作ったのだろうか。 彼は、まず最初に5つの公理を定義し、それらを組み合わせて 論理的に考えることで、色々な法則を発見していく、という手法を用いた。 ここで、公理とは、 「証明する必要のない、明らかに自明な法則」のことである。 たとえば、ユークリッド幾何学の5番目の公理は、平行線公理と呼ばれ、 まぁ、ようは、 「平面上に、絶対に交わらない2の線(平行線)を引くことができますよ〜」 ということを述べたものである。 たとえば、下図を見たとき、この線Aと線Bをどれだけ無限に

  • 哲学的な何か、あと科学とか

    Q1:飲茶さんは、 「『機械的な部品』にすぎない脳細胞がどんなに集まっても、 なぜクオリアが生じるのか説明ができない」 と言っていますが、 たとえば、車のエンジンは、『機械的な部品』が集まってできたものですが、 エンジンをどんなに分解しても、「車が走るという現象」はでてきません。 脳とクオリアの関係も、これと同じで、 説明できなくても当たり前ではないでしょうか? つまり、クオリアを問題にしている人たちは、 「エンジンを分解したのに『車が走る』という現象がどこにもないぞ」 と大騒ぎしているのと同じではないでしょうか? A1:いいえ、ちがいます。たしかに、エンジンを調べても、 「車が走る」という「現象そのもの」は出てきませんが、 「車が走る」という「機能の仕組み」は説明はできます。 たとえば、「なぜ車が走るのか。それは、エンジンの中でガソリンが爆発して、 その力がシャフトに伝わり、タイヤを回す

  • アリストテレス - 哲学的な何か、あと科学とか

    宗教と哲学には、決定的に違うところがひとつある。 それは、 宗教は『信じること』を前提としているが、 哲学は『疑うこと』を前提としている、というところだ。 つまり、 宗教とは、基的に『信の道』であり、 哲学とは、基的に『疑の道』である。 たとえば、宗教では、 教祖が作った教義を『疑う』ということはありえない。 宗教において、 「なんか教祖様の教義のこの部分って、おかしくね? 俺は、ここはこうした方が良いと思うんだけど……」 なんてことを弟子が言い出すことはありえない。 教祖の教義は完璧であり、弟子たちは、ただただそれを信じる。 「教祖を信じること」「教祖の教えを守り続けること」、 それが弟子の役目である。 一方、哲学では、 師匠が作った哲学体系を『信じる』ということはありえない。 もちろん、志(こころざし)なかばで倒れた師匠の哲学を受け継ぎ、 哲学体系を完成させるのは、弟子の役目ではあ

  • エントロピー増大の法則 - 哲学的な何か、あと科学とか

    エントロピー増大の法則 エントロピーとは、「無秩序の度合いを示す物理量」である。 具体的に言うと、 「部屋が片付いている状態」(秩序ある状態) → エントロピーが小さい 「部屋が汚い状態」    (無秩序な状態) → エントロピーが大きい ということだ。 無秩序であればあるほど、エントロピーの値は大きくなる。 エントロピー増大の法則とは、 「自然(世界)は、 常に、エントロピーが『小さい→大きい』という方向に進む。 すわなち、自然は『秩序から無秩序へ』という方向に進む」 ということで、具体的に言うと、 「整理整頓された部屋は、そのまま自然に任せておくと、 だんだん乱雑になりますよ〜。 勝手に整理されるということはありえませんよ〜」 ということだ。 たとえば、コーヒーにミルクを一滴たらして、ほおっておくと、 ミルクはどんどん広がっていき、最後には、コーヒーと完全に混ざってしまう。 これはよう

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