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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/514303 (8)

  • 森友学園事件と二・二六事件 - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎森友学園事件と二・二六事件 報道によれば、今月一〇日、学校法人「森友学園」の籠池泰典理事長が、豊中市内の塚幼稚園で記者会見をおこない、大阪府に対して「瑞穂の国記念小学院」の認可申請を取り下げたことなどを明らかにしたという。 ほぼ、「完全撤退」と言える。これを聞いた関係の役人は、さぞかし、安堵の胸をなでおろしたことであろう。 ところで、インターネット上の「The Huffington Post」(三月一〇日二〇時四七分更新、吉野太一郎さん執筆)によれば、この会見の中で、籠池泰典理事長は、次のような歴史観を示したという。 ○先の大戦前の二・二六事件の将校のことを思いました。ああ、国家のために殉ずる気持ちで頑張ってきた人たちが、指導部に抹殺された。 ○勝者にはいい印象、敗

    森友学園事件と二・二六事件 - 礫川全次のコラムと名言
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    type-100 2017/03/12
    そうそう。断固鎮圧を唱えたのは昭和天皇とごくわずかな側近であり、自らを青年将校に例えて正当化するって不敬だよね。
  • あなた達は略奪や強姦をしたかも知れぬが - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎あなた達は略奪や強姦をしたかも知れぬが 昨日の続きである。昨日は、上原文雄『ある憲兵の一生――「秘録浜松憲兵隊長の手記」』(三崎書房、一九七二)から、「浜名湖口、連合軍捕虜の引渡し」の節の前半を紹介した。日は、その後半を紹介する。 当日は未明より新居駅に出張して、新居分隊長と共に待機した。 駅前の商店や民家では戸を締め、婦女子は遠くへ避難していた。どうしたことか鉄橋の袂〈タモト〉の機関銃陣地は警戒兵がそのまま配置している。小学校の部隊部へ憲兵を飛ばして、陣地を撤去するように連絡するなどのこともあった。 八時頃、艦隊から上陸用舟艇三隻が列を造って、今切れの湖口から進入して来た。鉄橋上に立って手振りで、案内して、誘導し新居駅北側のホームに最も接近した湖面に接岸させた。

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  • 蓑田胸喜の「ナチス思想批判」(1940) - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎蓑田胸喜の「ナチス思想批判」(1940) 十年ほどまえ、蓑田胸喜〈ミノダ・ムネキ〉の『ナチス思想批判』(原理日社、一九四〇)という小冊子を入手した。文六七ページ、定価は三〇銭。古書価は覚えていない。最近になって一読してみたが、なかなか面白かった。 その当時、ナチスの政治思想や社会政策に飛びついた「学者、官僚、政治家」が多かった中で、蓑田胸喜が、堂々とナチス思想批判を展開していたことは知らなかった。蓑田胸喜には、「神がかった攻撃的右翼」というイメージがつきまとうが、少なくとも彼は、「ナチズム」を信奉するファシストではなかったようだ。 日は、同小冊子から、「序=批判の見地」を紹介してみたい。 序 = 批 判 の 見 地 七月二十日のドイチエ・アルゲマイネ・ツアイツン

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  • 邪教か否かを国家に判断させてはならない - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎邪教か否かを国家に判断させてはならない 今月一三日のコラム「幸福実現党部に家宅捜索(2016・8・2)」で、私は、次のように述べた。 ひとつ、忘れてならないことがある。それは、近代日における宗教弾圧が、必ず、「犯罪」の摘発から開始されているという事実である。 これについては、これまで、いろいろなところで、同様の指摘をしてきた。繰り返しになるが、重要な問題だと思うので、この場を借りて、同じ指摘をしておく。 以下は、批評社の広報誌『Niche』の第30号(二〇一五年一月)に掲載するため、二〇一四年末に書いた文章である(実際に掲載されたものは、ゲラ校正の段階で、若干、削ったところがある)。今の段階で、手直ししたい部分、追加したい部分などもあるが、とりあえず、そのまま載せ

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    type-100 2016/08/19
  • 我国都市における防空上の二大弱点 - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎我国都市における防空上の二大弱点 昨日の続きである。田辺平学著『不燃都市』(河出書房、一九四五)から、日は、Ⅶ「都市改造」の3「我国の都市改造」の、c)を紹介してみたい(四八〇~四八二ページ)。 c) 防空上の2大弱点 我国独自の規模・構想の下に、我々の精神力と資材と科学技術の最善最高を尽して世界的水準以上の防空都市を建設せんが為には、先づ静かに我国都市の現状を注視し、我国の都市が有する特異なる防空上の弱点に就て深く省る必要がある。 我国重要都市現在の保安・衛生・交通・経済、特に防空上の重大欠陥乃至〈ナイシ〉弱点は下記2点に要約される。 1.木造建物の大集団 2.人口の過大集中 木造都市 木造建物の大集団を来した〈キタシタ〉のは、古来大都市の内外に木造建物の建築を無

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  • 「君達は、この戦争に日本が勝つと思うか」 - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎「君達は、この戦争に日が勝つと思うか」 先日、たまたま、『思想の科学』のバックナンバーを手に取った。一九六〇年(昭和三五)八月号、「よみがえる戦争・戦後体験」特集である。そこに載っていた中野徹雄「知識人の責任」というエッセイがおもしろかった。 このエッセイを、二回に分けて紹介する。 知 識 人 の 責 任 思い出話になるのであるが、昭和二十年〔一九四五〕の春、つまり東京がB29の来襲の度毎に〈タビゴトニ〉灰燼〈カイジン〉に帰しつつあったあの終戦の年の春、私は旧制高等学校の第二学年の生徒で、配属将校の指揮下で軍事教練に参加した。その軍事教練のさなかに警戒警報が、更に空襲警報が発せられて、青空にB29と日陸軍の戦闘機の空中戦が演ぜられ、日の戦闘機が煙を吐きながらキリ

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  • 東條英機元首相の処刑と辞世 - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎東條英機元首相の処刑と辞世 映画『大東亜戦争と国際裁判』については、いろいろ述べたいことがあるが、日は、そのラストの場面を紹介してみたい。 この映画のラストは、東條英機元首相が処刑される場面である。 処刑前、土肥原賢二(信夫英一)、松井石根(山口多賀志)、武藤章(中西博樹)、東條英機(嵐寛寿郎)の四人が、一室に集められ、机の前に座っている。いま、東條が色紙に署名をしようとしている。すでに色紙には、右から、土肥原賢二、松井石根、武藤章の三人の署名があり、一番左に、東條が毛筆で署名した。 続いて四人は、教誨師の花山信勝(中村彰)から「酒」をすすめられる。この酒は、黒いビンに入っており、ビンの形状から、洋酒と思われる。紙コップに注がれた酒を、手錠をはめられた両手に持ち、口

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  • 新たに祭神4万1318柱を合祀 - 礫川全次のコラムと名言

    礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。 ◎新たに祭神4万1318柱を合祀 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。 日は、『原爆投下は予告されていた』から、四月二三日から二八日までの日誌を紹介する(一〇〇~一〇六ページ)。なお、『永田町一番地』は、四月九日のあと、四月二八日まで、なぜか日誌が飛んでいるので、次回の紹介は四月二八日になる。 四月二十三日 (月) 雨 午前五時ごろからの雨音で目がさめる。目がさめるが真っ暗だ。【中略】 午後四時、上下番の挨拶をして上番する。情報室は壕の中、雨や風

    新たに祭神4万1318柱を合祀 - 礫川全次のコラムと名言
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    type-100 2016/04/24
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