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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (26)

  • 「なぜ、セガの家庭用ゲーム機は敗れたのか?」を2022年に総括してみた。 - いつか電池がきれるまで

    jp.ign.com 長年『BEEP!』を愛読し、セガハードをマーク3からドリームキャストまで所有し続けていた僕にとっては、大変感慨深い記事でした。 なぜセガはハードの争いに勝てなかったのか? 2022年に振り返ってみると、必然の敗けのように思えてしまうのだけれど、あの戦いをリアルタイムで追っていた僕は、任天堂も、ファミコン、スーパーファミコンの大成功のあと、ニンテンドー64で「カセットで遊べる」ことにこだわったがゆえに(ソニーとの決別、というのが大きかったとはいえ)、ニンテンドー64、ゲームキューブと長い間低迷していたことを記憶しています。 Wiiの大ヒットで蘇ったものの、WiiUはいまひとつで、しばらくはDS、3DSという携帯用ゲーム機頼みだったんですよね、任天堂。 スイッチでまたナンバーワンの地位を築いていますが、ゲーム業界は栄枯盛衰が激しいのです。 セガも、結果的には、ずっとナンバ

    「なぜ、セガの家庭用ゲーム機は敗れたのか?」を2022年に総括してみた。 - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2022/01/20
  • 「他の子がイジメられているのを止めずに傍観しているのは、イジメに加担しているのと同じことだ」 - いつか電池がきれるまで

    news.nifty.com bunshun.jp 僕が小学生から中学生くらいの頃にも「イジメ」というのは存在していました。 というか、僕のクラスにもそれらしきものはありました。 僕自身はいじめる側に加担することはなかったのですが、いじめを積極的にやめさせようともしていませんでした。クラスの中で、いちばん小さな、ちょっとマニアックなテレビゲーム好きグループの中のひとりとして、毎日、学校嫌だなあ、と思いながら通学していた記憶があります。体育の時間がイヤだったし、何かの折に「じゃあ誰かと2人組になって」とか言われるのがきつかった。 当時、学校では「他の子がイジメられているのを止めずに傍観しているのは、イジメに加担しているのと同じことだ」と言われていた記憶があります。もう35年以上昔の話になるので、いまの子どもたちに対しては、どう教えられているのかは知らないけれど。 冒頭に挙げた2つの事例に対し

    「他の子がイジメられているのを止めずに傍観しているのは、イジメに加担しているのと同じことだ」 - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2021/04/20
    僕はいじめたこともいじめられたこともあります。多分みんな、いじめたこともあると思うんですよね。
  • われわれには、テレビを消す自由があるし、スマートフォンの電源を切る自由もある。SNSもニュースサイトも、見ない自由がある。 - いつか電池がきれるまで

    新型コロナウイルスでの自粛生活が続くなかで、他人の行動にイライラしたり、有名人の訃報が続いたりして、僕もなんだか々としています。 もともと「ネガティブ気質」というか、「落ち込むのには、慣れている」つもりなのですが、それでも、ちょっときついこともある。 考えてみれば、贔屓のチームの絶不調とか株価とかネットでの諍いとか、気にしなければ、もともと関わらなければ済むはずのことも多いんですけどね。というか、当は、そういうことがほとんどなのです。 ただ、そんな「感情を揺さぶられるもの」をすべて捨てて生きていくには、ちょっと人生は長すぎるのかもしれません。 僕が、こういうときに思い出す文章があります。 『毎月新聞』(佐藤雅彦著/中公文庫)というのなかで、佐藤雅彦さんが、こんな話を書いておられたのです。 fujipon.hatenadiary.com 故郷で独り住まいをしている高齢の母親は、テレビ

    われわれには、テレビを消す自由があるし、スマートフォンの電源を切る自由もある。SNSもニュースサイトも、見ない自由がある。 - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2020/09/30
    見ない自由はあるけど、見なくてすむ権利は無いわけで。
  • 「ナチスと福祉」について - いつか電池がきれるまで

    togetter.com こういうやりとりを第三者的にみていると、「文脈」を把握せずに、発言内容の一部だけを切り取って批判されがちなSNSって怖いなあ、と思うんですよ。 文脈を追っていくと、「ナチスは福祉」というのは、アイロニーであって、発言者はナチスやその政策に賛同しているわけではない、というのは明らかです。 僕もこういう言及のされかたをすることがあるので、「ちゃんと読めよ」と揚げ足をとっている人たちに言いたくなります。 ただ、僕自身も、すべてのTwitter上の発言に対して、「文脈」を理解できている自信はなく、それを他者に求めるのが酷であることも理解しているつもりです。 基的に、他者のツイートに対して批判的に言及するときには、なるべく慎重を期するようにしています。 ツイッターそのものが、インパクトがある140字をぶつけて、フォロワーを扇動するツール、という性格をもっていて、賞賛と批判

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    type-100 2019/01/08
    あえて言うなら国家・社会福祉ではなく民族福祉を実践したのがナチス・ドイツの特殊性だと思う。
  • 「原爆Tシャツ」のBTS(防弾少年団)を『ミュージックステーション』で観たくない、という僕は「ネトウヨ」なのだろうか? - いつか電池がきれるまで

    natalie.mu 僕は子供の頃に広島で暮らしていたこともあり、その影響が大きいのかもしれないけれど、原爆は一般市民に対して大量破壊兵器の効果を実験した戦争犯罪だと考えています。 このBTSとかいう人たちが、「英語がわからなくて、カッコいいと思って着ていました。すみません」と言うのであれば、声高に怒りを表明しようとは思わない。 また、アメリカの一般市民がアメリカ国内でこんなTシャツを着ていて、原爆礼賛をしているところに乗り込んでいって闘うほどの覇気もない。 でも、いくら人気があるからって、こういう人たちがエンターテインメントとして日テレビに出演して歌うというのは大変不快なので、今回『ミュージックステーション』に出演しないことになったのは適切な判断でしょう。 この話に関しては、「そういうことなら、アメリカ韓国でがんばってくださいね」で済む話だと思っていたのですが、Twitterをみて

    「原爆Tシャツ」のBTS(防弾少年団)を『ミュージックステーション』で観たくない、という僕は「ネトウヨ」なのだろうか? - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2018/11/11
    一言そんなつもりはなかったと釈明なり正当化なりしたならそれ以上責めるのは酷だと思うが、それもできないなら使われないのは仕方ないのでは。欅坂の時にも思った。
  • アメリカの銃規制と「はてなブックマーク廃止論」その後 - いつか電池がきれるまで

    僕はずっと、アメリカで銃規制に反対する人たちに対して、「まだ西部劇の夢から醒めない、アナクロニズムから抜け出せない存在、だと思っていました。そうやって、銃を持てる社会になっているからこそ、銃乱射事件が起こって多くの人が殺されていることが、なぜ理解できないのか?と。 でも、現地で生活をしていた人が書いたこのを読んで、その理由が少しわかったような気がしたのです。 fujipon.hatenadiary.com 2012年には、フロリダ州で17歳の黒人の高校生が自警団としてパトロールしていたヒスパニック系の男性に射殺されました。 オバマ大統領は、この事件に関して、自らの経験を語りながら、「こうして撃たれたのは自分だったかもしれない」と国民に対して痛切な訴えを行なったのですが、それでも、銃規制への道は遠いようです。 「全米ライフル協会」というのは、西部劇の世界を引きずっているような過激で時代錯誤

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    type-100 2018/07/20
    正直はてブの嫌なところというのが全然共感できないので、別にこのままでいいんじゃないの、という感が。
  • 「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp 僕もネットでの「いじめ」「いじり」にまったく無縁ではないし、お前は偽善者だと言われれば、そうですね、としか言いようがない。 僕自身は、とりあえず、自分の身に降りかかった火の粉は払おうとしてきたし、できれば、あまりうまく生きられない人に、ネットを通じて1ミリでも役に立てれば、と思っていた。そしてその一方で、自分が楽しいと思うことを発信して、誰かに「俺もそれ好き!」って言ってほしかった。 hagexさんの事件について、『はてな』の責任を問う声もあがっていて、『はてな』への認証のしかたを変えた方が良いのではないか、というのも読みました。 僕がいま考えているのは、『はてなブックマーク』という機能をもう止めても良いのではないか、ということなのです。 僕自身も利用しているサービスだし、ブックマーク機能の恩恵も長年受けてきています。 はてなブックマークは、バッシングの

    「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2018/06/28
    はてブの害、については別に否定しないけど、他のSNS等に比べて特別ひどいとも思わないかな
  • 落語と「ポリティカル・コレクトネス」との葛藤 - いつか電池がきれるまで

    落語をときどき聴きにいくようになりました。 20代くらいの頃は、漫才やコントはさておき、落語には、まったく興味がわかなくて、時間は長いし、背景はわからないし、この時代に落語を聴くなんていうのは「古典芸能に理解があることをアピールしようとしている腐れインテリ」みたいだな、と思っていたんですよ。 でも、40代も半ばになって、あらためてこの世界に触れてみると、落語というのは噺の内容そのものだけでなく、演者の個性というか、「どう客に聞かせるか」を楽しむものなのだな、ということがわかってきました。 率直に言うと、昔の落語の「ネタ」って、いま聴いても、そんなに面白くはないと思うんですよ。 少なくとも、それが作られた時代にリアルタイムで聞いていた人たちと同じ感覚では、楽しめない。 でも、その「そんな現代的ではないネタを、面白く聴かせる落語家の話術」は、当にすごい。 まあ、こんなことを書きながら、僕自身

    落語と「ポリティカル・コレクトネス」との葛藤 - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2018/01/30
    最近東京でしわい屋の枕聞いたときは「良くない表現ですが」と前置きしつつ、「つんぼう」も言ってたが。
  • 「慰安婦像ツイート炎上事件」について、筒井康隆ファンのひとりとして思うこと - いつか電池がきれるまで

    www.asahi.com news.yahoo.co.jp 僕は高校生のときに『48億の妄想』を偶然手に取って以来、筒井康隆さんの大ファンであり続けています。 そもそも『48億の妄想』は、1965年に書かれたものであり、30年前の時点で、すでに20年くらい前の作品だったんですよね。 にもかかわらず、筒井作品には「いま、ここにある現在」が描かれていました。 差別とかエログロをあえて描く、という筒井作品は「潔癖な男子」だったはずの僕にはすごくインパクトがあったのです。 筒井さんが描く『悪』は「露悪的」であり、そこには「綺麗事で覆い隠されているもの」を面白おかしく引きずり出してやろう、という意思を感じていました。 ……というのは僕の「読者的きれいごと」であり、一種の「こわいものみたさ」とか「見世物小屋的な興味」のほうが大きかったのかもしれませんが。 ただ、筒井さんは、ずっと「露悪的エログロ作家

    「慰安婦像ツイート炎上事件」について、筒井康隆ファンのひとりとして思うこと - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2017/04/08
  • 「侍ジャパン」が苦手だ。 - いつか電池がきれるまで

    www.japan-baseball.jp ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が盛り上がってきていて、僕も「身近な人がどこのチームのファンだか確認せずに応援できる日本代表」って、応援しやすくてラクだよなあ、なんて思いながら観戦しております。 でも、こういう大会のたびに、僕はちょっと引っかかってしまうところがあるんですよ。 それは、チームの「愛称」のこと。 今回は、野球の男子日本代表チームは「侍ジャパン」という愛称で呼ばれているわけですが、まあ、なんというか、「今の日に侍なんていないだろ、外国人に『日といえばフジヤマ、ゲイシャ』って言われたらムカつくのに、なんで『サムライ』はOKなんだ?」とか思ってしまうのです。 そもそも、大部分の日人(そして、代表チームの選手たち)の祖先は「侍」じゃなかったはずだし、侍がえらい、すごいというのは身分制度を肯定していることになるのでは。 多く

    「侍ジャパン」が苦手だ。 - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2017/03/16
    江戸時代の町人も「お侍さま」が活躍するフィクションを普通に楽しんでわけで。
  • インターネットは、「『何を言ったか』よりも、『誰が言ったか』」の世界に「逆行」しているのではないか? - いつか電池がきれるまで

    寄稿している『BLOGOS』というニュースサイトの『BLOGOS AWARD』という企画で、「入選」に選んでいただきました。 「賞罰なし、著書なし」で長年続けてきたこの猿めにこんな賞をいただき、恐縮です。 blogos.com あらためてみてみると、他の人はみんな有名人ばっかりじゃないですか! 大賞は、よしりん(小林よしのりさん)だし! 若かりし頃、『ゴーマニズム宣言』を熱心に読んでいた僕としては、なんだかとても感慨深いというか申し訳ないというか。 場違いも甚だしいのですが、まあ、そういう人もひとりくらい入れておこう、ということなんだろうな、と勝手に解釈しておきます。 正直、こうしてブログを書いていると、叩かれることは頻繁にあっても褒められることはほとんどなく、Google Adsenseの数字が地道に上がっていくのを見ることだけが楽しみ、という、やさぐれた気分になってしまいがちなので、こ

    インターネットは、「『何を言ったか』よりも、『誰が言ったか』」の世界に「逆行」しているのではないか? - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2016/12/15
    ずっとそうだったというか、デバンカー的なことしてる人達でも「あいつは前も間違ったことを言っていた」と無関係な領域での醜聞を言い出すことは多い/そして困ったことに、その論法は有力で、正しい場合が多い。
  • 孤独とテロリズム - いつか電池がきれるまで

    www.sankei.com anond.hatelabo.jp nikkan-spa.jp この宇都宮公園爆発事件のニュースをみてから、僕はなんだかとても気分が沈んでしまっていたのです。 (まあ、気なのはそれだけが理由ではないのだけれど) 最初に感じたのは、関係ない人を巻き添えにするなよ、という爆死した人への「怒り」でした。 もちろん、その「怒り」はずっと続いているのです。 その一方で、(他人を巻き添えにせずに)自ら命を絶つという選択肢について、見知らぬ人には「できればやめてほしいが、強く言える立場にもない」としか言いようがない、とも感じています。 2番目のエントリで紹介されている裁判の様子などをみていると、「この72歳の男性がやってきたこと、今回やったことは『同情の余地無し』のような気もするけれど、この人からみた世界は、ずいぶん酷いところだったのだろうな」と考えずにはいられませんでし

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    type-100 2016/11/02
    フランスなんかはむしろ、移民に対しても「共通の物語」を持つように強く求めていたわけですけど、結局そこが一番テロが激化してしまった。
  • 「何か反論ある?」と長谷川豊さんが仰っていたので、人工透析や医療保険について、お返事してみます。 - いつか電池がきれるまで

    fujipon.hatenablog.com この2016年9月21日のエントリに対して、長谷川豊さんから、こんなふうに言及していただきました。 blog.livedoor.jp 何か反論ある?fujiponさん。 fujiponさん、あなた…現役の医師なんでしょ?ネットをカタカタ叩いてあんな古いデータ持ち出してないで、ちゃんと最新のデータで論じましょう。それくらい出来るでしょうが。 私のコラムを読んで胸糞悪くなってる暇があったらもうちょっと現場で人に話を聞きな。絶対に私と同じこと言うから。汗をかけ、汗を。 なんだかご指名いただいたみたいなので、これを書いているのですが、率直なところ、「反論」っていうけど、長谷川さんがこのエントリで仰っていることへの僕なりの「答え」は、ほとんど冒頭の9月21日のエントリに書いてあると思うのだけど……読んでくれていないのだろうか?と困惑してしまいました。 と

    「何か反論ある?」と長谷川豊さんが仰っていたので、人工透析や医療保険について、お返事してみます。 - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2016/09/23
  • 「会社をやめて、ブログで食べていこう」と思っている若い人たちへ - いつか電池がきれるまで

    ネットを回遊していると、ときどき、「会社をやめて、これからはブログでべていこうと思います」と宣言する若者たちを目にします。 個人的な利害関係があるわけじゃないので、「ああ、頑張れよ」と思うくらいなのですが、彼らに対して、ネット上では逆風が吹き荒れることが多いんですよね。 僕は彼らに「危うさ」を感じる一方で、そういうのが新しい生き方のひとつであり、それでべていけるという選択肢が世の中にあるほうが、生きやすいのではないか、とも思っています。 若いうちであれば、何かやってみてうまくいけば万々歳だし、失敗しても、「それもまた経験のひとつ」として今後に活かせるところもあり、ブラック企業、あるいは「どうしても自分に合わない場所」にしがみついているよりはマシなんじゃなかろうか。 でもなあ、そうやって「理解のある大人」であろうとしながらも、僕のなかには、なんだかすごくモヤモヤとした感触が残っていたので

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    type-100 2016/05/13
    生きるも死ぬも勝手になされば良いと思うが、ブログで食いたいヤツのブログが面白くなる気がしないので、こういうお優しい指摘が届けばいいなあ。
  • 乙武洋匡さんと岡田斗司夫さんの「自己肯定感」という魔物 - いつか電池がきれるまで

    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160323-00506816-shincho-socizasshi.news.yahoo.co.jp http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160325-00000004-spnannex-ent このニュース、最初に聞いたときには「あの乙武さんがねえ……」という、ちょっと信じられないような気持ちになったんですよね。 それは、乙武洋匡さんの人格への信頼というよりは、乙武さんの身体的なハンディキャップから考えると、5人もの女性とうまく不倫を続けていくというのは、ものすごいアクロバティックな行為だと思ったから。 いや、その「行為」そのものが、というわけじゃないんです。 乙武さんは移動も特殊な車いすを使用していて、移乗するのも自分ひとりでは難しい。 ある程度遠出するためには、

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    type-100 2016/03/26
    新潮の記事によると「記者に追及されてから妻に告白したら泣いていた(本人談)」そうなので、薄々気付いてはいても認めてはなかったんじゃないかな。
  • ショートケーキをスプーンで食べるのは「非常識」なのだろうか? - いつか電池がきれるまで

    昨日、家族でケーキをべていたときのこと。 僕がスプーンでショートケーキをべていたら、が「なんでスプーン使ってるの?」と尋ねてきた。 「えっ、ケーキって、スプーンでべちゃダメなの?」 「ケーキは普通、フォークでしょ。スプーンでべている人なんて、見たことないよ」 「別にどっちでも良いんじゃない?」 「スプーンでべると、果物とかはべにくいし、押し付けるとスポンジが潰れてしまうし、ありえない!」 「でも、コンビニのカップケーキとか、スプーンがついてくるけど?」 「それはカップケーキだから!とにかく、ケーキをスプーンでべるなんて、信じられない。非常識だよ」 僕はあまりこだわりがないというか、たしかに外でべるケーキにはフォークが付いてくることが多かったけれど、長年ケーキをスプーンでべてきたので、「非常識」とまで言われると、けっこうショックだったんですよね。 たしかにスポンジが潰れる

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    type-100 2016/03/18
    「マナー」というのであればナイフ・フォークで食べるのがテーブルマナーなんじゃなかろうか/箸はなんかやだなあ
  • ネットの「引きずりおろそうとする力」について - いつか電池がきれるまで

    note.mu このひとりの女性の決断に対して、「はてなブックマーク」でのコメントが容赦なさすぎる、ということで、友達が苦言を呈し、それがまた炎上し……という流れになっているようです。 ちなみに、最初のエントリに対するブックマークコメントというのは、こんな感じ。 b.hatena.ne.jp で、苦言を呈している、彼女の友人のブログがこちら。 aitabata.hatenablog.com そのブックマークコメント。 b.hatena.ne.jp 僕がこの最初の女性の『note』を読んで思ったのは、「まあ、好きにやればいいじゃん、まだ若いんだし」ということでした。 そもそも、こんなに叩かれるような話かね。 僕が「メジャーリーガーになるために、仕事をやめて野球をやる!」とか突然言ったら「オッサン、自分の年と現実を考えろよ!」とバッシングされても当然、ではあると思いますが、この人は、これまで競

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    type-100 2016/02/27
    そもそも別に大して叩かれてないよね
  • 「プロブロガー」と「白いたい焼き」 - いつか電池がきれるまで

    p-shirokuma.hatenadiary.com p-shirokuma.hatenadiary.com 僕は基的に「金だ!」「PVだ!」って言っているブログは嫌いだしつまらないと思っているのですが、p-shirokumaさんがこうして2回にわたって言及されていることに、少し驚いてしまいました。 『はてなブログ』に移ってきて、なんかアグレッシブに攻めてるなあ。 「それがあなたの執着ですね!」とか言いたくなってしまう。 僕もアフィリエイトとかアドセンスは利用しているので、偉そうなことは言えないのですが、銅臭(お金のニオイ)がするブログは好きじゃありません。「儲け自慢かよ!」とか、思ったりもします。 そもそも、アフィリエイト収入って「広告」でお金をもらっているわけで、当に自分が薦めたいものじゃなくて、売ると儲かるものを、客の顔を思い浮かべずに売ろうとしている人もいるように見える。 い

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    type-100 2015/11/01
  • 『本の雑誌』の特集「人はなぜ本を返さないのか!?」が面白かった。 - いつか電池がきれるまで

    WEBの雑誌 『の雑誌』の2015年8月号(No.386)の特集は「人はなぜを返さないのか!?」でした。 僕は最近けっこう図書館を借りて読んでいるのですが、正直なところ、「他人にものを借りる」のは苦手です。 借りた瞬間に「返すときのこと」ばかりが気になります。 返却期日に間に合わなかったらどうしよう、とか、破損してしまったらどうしよう、とか、もっとシンプルに「返すのがめんどくさいな」とか。 返して終わりにしてしまえば、そこで解放されるのでしょうけど、一度「借りる」という習慣ができてしまうと、「せっかく図書館に行くのに、返すだけ、っていうのは、なんかちょっともったいないよな」と、結局また他のを借りてしまい、返す日まで不安、の繰り返し。 やらなくてもいい自転車操業を、自分でやってしまっているのですよね。 僕の知人は、「他人からでもTSUTAYAからでも公共機関からでも、とにかく『借

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    type-100 2015/08/19
  • 「『はてなブログ』が気持ち悪いからやめる」という人へ - いつか電池がきれるまで

    zeromoon0.hatenablog.jp まあ、ブログなんて、やめてみたらいいんですよ。 僕だって、「死んでみたかったら、一度死んでみればいい」とか、「離婚したかったら、してみればいい」なんてことは口が裂けても言わないし、言うべきではないと思うけれど、ブログの閉鎖なんていうのは「やめたあと後悔しても、取り返しがつく衝動」だし、僕自身も何度か閉鎖や休止をしてきましたしね。 「自分の葬式を見てみたい」って言うじゃないですか。ブログの閉鎖って、ある意味、それを小さく実現できるようなものではある。 でも、実際に閉鎖してみると、世界って、がっかりするほど無反応だし、誰も惜しんではくれない。 ブログは星の数ほどあって、好きなブログがなくなったら、「残念だなー」と思いつつ、他のブログを見るか、他のことをするだけです。 あんまり過剰に惜しまれたりすると、それはそれで怖い。 結局のところ、リングに立っ

    「『はてなブログ』が気持ち悪いからやめる」という人へ - いつか電池がきれるまで
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    type-100 2015/07/01
    うん、気持ち悪いね