第2次大戦末期、旧ソ連が対日侵攻の拠点とした巨大陣地跡の全容が日蒙共同調査団の現地調査で明らかになった。「ノモンハン事件」から75年を機に、今年6月にモンゴルを訪れた調査団が計3カ所の陣地跡を確認した。旧ソ連が早い段階から大規模な対日侵攻を準備していた実態が裏付けられた。■対日参戦「何年も前から準備」 未舗装の道を外れ、草の生い茂る荒れ地を約4キロも走ったころ、突然、車の前方約50メートルに横一線に走る黒い筋が現れた。わずかな起伏に隠れるように掘られたマタット陣地跡を囲む対戦車壕(ごう)だった。 北緯47度29分59・8秒、東経115度39分6・1秒。現地を訪れた「ノモンハン戦跡日蒙共同調査団」が衛星写真の解析で事前に推定していた位置と、誤差はわずか3メートルだった。 調査団は5年前にモンゴル東部のタムスクで陣地跡を初めて確認した後、今年6月にはマタットとサンベース(現・チョイバルサン)で