江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が書いたとみられる書が、「広辞苑」の編者として知られる言語学者新村出(しんむらいずる)の旧宅(京都市北区)で見つかった。出の養父猛雄が慶喜に仕える身だったため、新村家で軸装されて受け継がれたと考えられる。約1メートル四方の絹本に力強く「誠」と書かれ、「慶喜」の落款が押してある。書かれた時期は不明だが、専門家は「劇的な人生を歩んだ慶喜の人物像を知る上でとても貴重な史料」と話す。 旧宅を改装した「新村出記念財団重山文庫」で見つかった。縦103センチ、横90センチの絹地に楷書体で書かれている。 重山文庫を訪れて書を確認した松戸市戸定歴史館(千葉県)の齋藤洋一館長によると、「誠」と書かれた慶喜直筆の書としては、将軍に就いた記念として1867(慶応3)年に一橋家の慶寿夫人に贈ったものがある。将軍職に誠実に当たる気持ちを込めたとされている。ただ今回の書と比べると、少し崩した書