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というようなことを聞いたので、ちょっと考察してみたい。 大事なのは、否定から入るかどうかが重要なのではなく、否定的に見えるかどうかが重要ということ。なぜなら、「否定から入る」はてなユーザーが多いかなんて観測しようがないし、そんなことをしても「結局少数派多数派の問題やんけ」で片付けられてしまうからだ。 あくまで私は、「はてなが辛辣なプラットフォームだ」と(一般的に)言われている理由を解析してみる。 そこで議題というか題目を変え、「はてなが辛辣に見える」(≒コメントが否定的に見える)とされる理由について、考えていきたい。 比較対象は他のSNS。TwitterだとかFacebookだとか。 これは「はてなは辛辣だ」という一般論の背後をもとにしている。 ネットの多くの言論が現実のそれに比べ辛辣で本性にまみれているのは認めよう。しかし、それだけではわざわざ「はてなは」という必要性がなくなってしまう。
パリス・ヒルトンが着ていたネイティヴ・アメリカンのハロウィンコスチューム、セレーナ・ゴメスがつけていたインドのビンディ、ケイティ・ペリーの着物風ステージ衣装。どれも「ある問題」として話題となっていたことをご存知だろうか?これがなぜ問題であるのかわからないあなた。実はあなたも、知らないうちに加害者になっているかもしれない。 「文化を盗む」という問題 「文化を盗む」とはなんだろう? 実は全米の人気アイドル、セレーナ・ゴメスはこの問題で「有罪」となっている。事の発端は、彼女が自身のコンサートで額につけたビンディ*1。彼女はそれによりインドのヒンドゥー教団体から抗議を受けたのだ。なぜかというと、ファッションとして自分の属さないマイノリティ(少数派)の「文化」の一部をまねるという行為は、その文化を自分の都合で使っているとみられることがあるから。今回は、ヨーロッパ系とメキシコ系のルーツを持つセレーナ・
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