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ブックマーク / business.nikkeibp.co.jp (2)

  • われわれの中にある「相撲的なるもの」:日経ビジネスオンライン

    昨年来、角界の不祥事については、当欄だけでも、3回分の原稿をアップしている。書くべきことは既に書きつくした。できれば、相撲の話題には触れたくない。うんざりだ。相撲にも相撲報道にも。 なので、今回は、相撲そのものについてではなく、相撲を相撲たらしめているわたくしどもの世間のありようについて考えてみたい。イッツ・ア・相撲る・ワールド。吊り屋根の下の小さな世界。その互助会体質の光と影について、だ。 相撲の闇はわれわれの足元の闇に源を発している。そして、その恥辱はわれらひとりひとりの個人的な恥辱に連なっている。それほどに、「相撲的なるもの」は、日人の足腰に深く取り付いている。阿吽の呼吸と惻隠の情。魚心と水心。政治とカネ。土建と利権。土俵と泥と義理と人情。徳俵というグレーゾーン。白黒つけない政倫審。無罪を前提とした強制起訴の落としどころと罪を濃淡として描く水墨画的な倫理観。星取表のグラデーション。

    われわれの中にある「相撲的なるもの」:日経ビジネスオンライン
    u_tanuko
    u_tanuko 2011/02/18
    #sumo
  • あれは相撲の「美」を守るためではなかったのか?:日経ビジネスオンライン

    このたびの大相撲の不祥事について、私はあまり同情的な気持ちを持っていない。 というのも、角界には、朝青龍を排除するに当たって盛大にきれいごとを並べた人たちが居残っているからだ。 やれ国技だ文化だ伝統だと、彼らは、自分たちの関わっている興行について、歯の浮くような美辞麗句を言いつのっていた。曰く、相撲の美、横綱の品格、無言の掟、民族のDNA。武士の覚悟。ほのぼの麗句。 なるほど。よくわかった。 私は納得した。大相撲の世界が彼らの言うように、美しくも正しい文化的な結界であるのだとしたら、私の大好きな朝青龍は、その清廉な小宇宙にはなじまない異分子だったはずだからだ。ドルジは乱暴者だった。身勝手でもあった。ファンのひいき目で見ても教養溢れる紳士というわけにはいかなかった。ごくごくありきたりな二十代の粗野な青年であったに過ぎない。 だから、そのがさつで傲慢で粗暴なファン太郎を、角界は、追放した。それ

    あれは相撲の「美」を守るためではなかったのか?:日経ビジネスオンライン
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