絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
「萌えてはいけない。」 -コンテンツビジネスに関するシンポジウムが23日に開催 10月31日 秋葉原から発信された“萌え”は、コンテンツビジネスに大きな影響を与えている。しかし、デジタルハリウッドはここに疑問を投げかけ、シンポジウム「萌えてはいけない。」を開催。コンテンツビジネスの方向性を探る。 シンポジウムは、デジタルハリウッド大学大学院 学長の杉山知之氏をコーディネーターに、大月隆寛氏(民俗学者)、岡田斗司夫氏(大阪芸術大学客員教授)、夏目房之介氏(マンガ・コラムニスト)、笹峯あいさん(タレント)が出演。さらに、スペシャルゲストも登場するとのことだ。 参加対象は、マンガ、アニメ、SF、「萌え」、コンテンツ業界に興味がある人。事前の申し込みが必要だが、料金は無料。定員は200名。 また、シンポジウムに合わせてblogが開設されている。ここでは、「萌え萌えアンケート」と題して、「萌
さて、こうしてみてみると、「るろうに剣心」と「新世紀エヴァンゲリオン」はきわめて近い時期にともにスタートしたことが分かる。 共通の時代背景的なモノを解説するのであれば、それは 『戦後の枠組みの崩壊と新体制の模索』と言えるだろう。 「冷戦構造の崩壊」「自民党一極支配の崩壊」「右肩上がりの経済成長の終焉」「カルト宗教によるテロ」「近代都市を破壊する大災害」がその時代背景にあることと無縁ではない。 そしてこうした「一時代の終わりと、まだ見えない新時代」という雰囲気が、世紀末というシチュエーションの中で徐々に高まりつつあった。 さて次の企画は 2005/11/8 和月伸宏論(前篇):90年代キーワード「不殺」と「新世紀エヴァンゲリオン」「るろうに剣心」の符合 http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20051108/p1 変にこの手の業界に手を出してるのでこの件に関してはあ
バンダイネットワークスは、TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場キャラクター“綾波レイ”、“惣流・アスカ・ラングレー”それぞれをイメージしたオードトワレ(※)を発表。2005年11月1日よりララビットマーケットにて受注を開始した。 同商品は、綾波レイ、惣流・アスカ・ラングレーそれぞれの“香り”を性格からイメージ、アロマの専門家によって企画・調合されたとのことだ。気になる香りは、綾波レイは、“人工的イメージから母性を感じさせる香りに変化するマリンフローラル”、惣流・アスカ・ラングレーは、“二面性イメージから、どこか儚さを感じさせる香りに変化するスパイシーフローラル”。女性のみならず、男性でも使えるユニセックス向け商品だ。 ボトルケースはエントリープラグをイメージさせる縦長のスプレータイプで、綾波レイモデルはホワイトパールの本体にEVA-00のロゴ、惣流・アスカ・ラングレーモデルはレッドパ
数年前までは一種のカルチャー用語であった「オタク」も、テレビや新聞など一般メディアが取り上げるようになって以来、普通名詞となりつつある。それだけ世の中にオタクが増えた、という見方はあまり正確ではなく、この場合は単にオタクと呼ぶべきスレッショルドが下がっただけ、と捉えるべきであろう。 オタクとい う言葉が発祥した80年代、この言葉の語感はもっと反社会的、ではないな、どちらかと言えば脱社会的な響きを持っていた。当時同じようなカルチャー用語に「ビョーキ」があったが、双方とも社会的不適合性という意味では、同じようなものであったろう。 だが「ビョーキ」のほうは、それほど長期に渡って使われなかった。そもそもこの言葉の基盤となった文化とは、YMOを中心としたテクノミュージックであり、それに派生するテキスト、美術、パロディであった。そしてその象徴の「散解」により、「ビョーキ」を構成していた層は徐々に解体さ
PEPPER SHOP2号「ロボット・コンプレックス」掲載インタビュー �ン1996-1997.Toshio OKADA all right reserved. |原稿一覧に戻る| トップをねらえ! あれはほとんど一人で準備したんですよ。もともと「ビデオアニメとして絶対に売れる企画はなんだ?」と聞かれて「そんなもんロボットと女の子だ」って答えて始まった。当時ビデオアニメの雑誌があったんですが、そこにスチール1枚しか紹介されない時に、絶対にウケる絵を使える。紹介が3行しかない時にスゴイ台詞が入るように。で設定で“宇宙怪獣”“ロボット”“女子高生”この3つが出てきたら大丈夫。というように逆算的に作っていったんです。 いちばん始めにラストシーン考えて、ラストシーンから逆算して1話つくって、メカ設定頼んでキャラクター設定頼んで、シナリオも準備して、全部で来たところで監督である庵野秀明を呼んで
本田透(ほんだ・とおる)『萌える男』(ISBN:4480062718)を読む。 あきれるほど酷い。これが「トンデモ本」なり「アジ小説」であれば笑って済ませられるところなのだが…… 新書という体裁をとり,外見を装って(偽って)いるからには,放っておくわけにもいかない。 まず,第1章「萌える男は正しい」は読むに堪えない。 第5章「萌えの目指す地平」と第6章「萌えない社会の結末」は,「世界をセカイに革命する力を!」*1と叫んでいるだけで,内容的には前章までに述べたことを反復しているのみ。まったくの無駄。 よって本書で読む必要がある箇所は,フレームワーク(枠組み)を提示している第2章「萌えの心理的機能」と,具体的な作品を挙げながらフレームの適用を論じる第3章「萌の心理的機能」&第4章「萌えの社会的機能」に留まる。 framework 本田の説くところをまとめると,次のようになる。 ▼ 第1章 萌え
「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか (角川oneテーマ21) 作者: 大塚英志,大澤信亮出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2005/11/10メディア: 新書購入: 3人 クリック: 56回この商品を含むブログ (67件) を見るhttp://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?pcd=200507000113 おたく市場4000億円の実態 日本のまんが/アニメはなぜ敗れるのか ハリウッド、日本のまんが/アニメ戦争 日本のまんが/アニメの発端は、戦前のハリウッド、ディズニーの模倣、戦時下の統制にあった。戦前のまんが入門、戦争と透視図法、大城のぼる「火星探検」、手塚治虫「勝利の日まで」、萌え市場、産業としてのサブカルチャーまでを徹底分析。今また戦時下にある、まんが/アニメの本当の姿とは何か―。 日本のまんが/アニメは何処からきて、何処に向うのか
HNの読み方は「ウナバラ ケイエイ」 しがないピカピカの新社会人。 2008年4月より、社会人になり、以前と比べて細々とした更新頻度になってます… ヘビーギャルゲープレーヤー。Erogamescape登録名は「unabaraKA」。特技は1000円以下でゲームを買ってくること。積みゲーが…ひど…い… とりあえず世間のスピードから一歩遅れたゲームをやってみたりと、色々とハズしている事が多い。A級を愛し、B級を愛し、C級を愛する心構えでやってます。ちゃんとプレイしたゲームは、みんな好きになれるという割と得な性格。ただ、必要以上に長いゲームは苦手。 胃腸が弱い。叩かれると素直にへこむ。 レビューの方針は基本的には「良いところを探して褒める」こと。悪いところってのは、嫌でも目に付くし。あと「みんなが褒めてるゲームは、別に僕が評価しなくてもいいじゃん」とか思ってたりするので、なんだかレビュー欄には変
コメント欄に書いていたら、やたら長くなってしまったので、エントリーに A^^; こうしてオタク趣味を低コストでするオタクが登場。これが「オタクの一般化」だったのかもしれません。収集にこだわるオタクは別のオタクに。オタク格差問題! [ ARTIFACT ―人工事実― | オタク趣味は金をかけなくてもできるようになった ] オタクというのは、ニッチを重視することが一つの前提条件であって、それ故に多数の人とは価値観を共有することが難しかったと思うんですが、誰も正しい答えを持っていないということに気が付いてしまった冷戦終了後の世界では、ニッチを重視すること(→これは以前は誤った答えだった)がニッチではなくなってしまい(→正しい答えがないのだから、誤った答えも存在しない)、ニッチがメジャーになり、商業化の対象となるという認識が生まれたという経緯があると思っています。 その認識によって進んだ商業化が何
昨日、英語でしゃべらナイト再放送を見てて思ったんだけど、菊池成孔さん(いつも「なる」「あな」って変換して微妙に失礼な気がするので以下菊池さん)ってかっこいい人なんだなあ。 いや、以前「メガネ男子」とかいう本で「トータル的に見てトゥーマッチ」と言われてたので(読んだわけじゃなくてネットで見ただけ)、なんかアフロにメガネとか、更に中尾彬風のマフラーで70年代風な白いパンタロンとか、そういうコテコテな外見をしてると思い込んでいたのでしゃべらナイト見て「おお、イケメン」と意外だったわけなんだけど。 で、じゃあイケメンな菊池さんが何故「トータル的に見てトゥーマッチ」と言われていたかというと、それは「メガネ男子好き女子」についてまず考えてみる必要がある。 メガネ男子好き女子が好むメガネ男子というのは、クラスの中で特別目立つ存在ではないけれど、色白の頬にフレームの似合う、繊細でちょっと理屈っぽい言わばい
list(html) c2004_1 c2004_2 c2004_3 c2004_4 c2004 dengeki cobalt mfj_all mfj_pinup_all fmy_all dengeki_all_1 dengeki_all_2 dengeki_all_3 dengeki_all_4 dengeki_all cobalt_all_1 cobalt_all_2 cobalt_all_3 cobalt_all_4 cobalt_all_5 cobalt_all_6 cobalt_all tdu_all hmy_all hns_all ssd_all list(tsv) c2004 dengeki cobalt mfj_all mfj_pinup_all fmy_all dengeki_all(途) cobalt_all(途) tdu_all(未) hmy_all(未) hns_a
■メガネ萌え? 女子によるメガネ男子萌え公言を批判している男子諸君は、男子によるメガネ女子萌えとかメイド服萌えとか髪が長い女がいいとか処女がいいとか不細工女は嫌とか、そういった類の、今までさんざんやらかしてきた「萌え」や「嫌」の公言についても批判すべきだな。 逆に、好きなものを好きといって何が悪いのか、面白いんだからいいじゃないか、しょうがないじゃないかという考えの人は、自分が品定めの対象にされる(品定めの場で問題にすらされないことも含めて)ことにも文句を言うべきではない。つうか立場上言えないだろう。 個人的には、好きなんだからしょうがないとか、好きなんだからいいじゃないかといった考え方は好きじゃない。「好き」という気持ちが高じてやったことなので許してくれてもいいじゃない、大目に見てよ、という態度は嫌い。一種の思考停止だしさー。 以前ある芸能人が好きで同じ人のファンと交流していたとき、掲示
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