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ブックマーク / deadletter.hmc5.com (3)

  • ネタとベタ (Dead Letter Blog)

    「ネタ」と「ベタ」というタームを最初に使い始めたのは宮台さんだったように思う。で、つい先日に出た北田暁大さんの「2ちゃんねる論文」の影響もあって、それは社会学的分析が好きな人たちにとっては必須のキーワードとなりつつある。ちなみにこれの一般的な用法は「××が~と主張するのは、あえて(ネタで)言っているのであって、真の意図は―なのだ。~を額面通り(ベタに)受け取るべきではない」みたいな感じ(だと思う)。 でも今や「自分はネタだと分かってると思って言ったのに、ベタに受け取るなんて、受け取る方がバカだ」みたいな文脈で使われ始めるようになってきていて、僕はものすごく嫌な感じがしている。「ネタ」を理解するにはある種の前提・知識が要求される(ex.日語が分からなければ、漫才で笑うことは出来ない)。それを利用して、相手に対してその「知識の欠如」を嘲り、自分が相手より優位に立つ為のツールとして、このキーワ

    uboshi
    uboshi 2005/06/27
    宮台真司
  • 真の正嫡を巡って (Dead Letter Blog)

    花田兄弟を巡る騒動を見て思ったこと(以下の文章は多分に個人的な憶測・妄想によって構成されていますので悪しからず)。 報道をざっと概観して感じたのは「父・長男」の関係は良好だったのがほぼ常態で、こじれていた期間というのはごく例外的(具体的には勝氏が相撲協会から脱退した時)である一方、「父・次男」の関係はこじれている状態のほうが多く、良好である時の方が例外的だ、ということだ。 光司氏がどれだけメディア上で勝氏や母である憲子さんを「父を悲しませた」と非難しようと、見ている視聴者(というか僕)からすればどうしたって「おまえもな!」と突っ込みを入れたくなるわけで、それが発言量の圧倒的な非対称にもかかわらず、なかなか「弟支持・兄批判」という流れになっていかない一因であるように思う。 一方で光司氏は父を「最強の力士」、「優秀な親方」として(今でも)尊敬している、と語る。もちろんこれを「方便」と考えても

    uboshi
    uboshi 2005/06/17
    貴乃花
  • 「愛国心」の文法 (Dead Letter Blog)

    突然なのだけれども「愛国心」について、永井均「<私>のメタフィジックス」所収「感覚の文法」を横目で眺めながら議論してみたい。 ウィトゲンシュタインの議論で有名なものの一つに「痛み」にまつわるものがある。永井はこれを「感じられるもの一般」の議論と捉えなおした上で、さらにそこに「感情」と「感覚」の区別を導入する。「痛み」は「感覚」に含まれ、今回のテーマである「愛国」は「感情」にとりあえず分類されるだろう(これについては後述)。ちなみに「感覚の文法」では「感覚」の分析が中心的話題なのだが、当Entryでは省略し、永井流の「感情」の分析を通じて「愛国」を考えてみるに留める。 「感じられるもの一般」については(1)それを感じるべき「脈絡」(2)感じられているものの「実質」(3)感じている状態の表れ=「表出」の要素が重要になる。例えば<不当な逮捕(脈絡)に、興奮して気が荒立てられ(実質)、大声でわめき

    uboshi
    uboshi 2005/04/30
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