タグ

2009年10月13日のブックマーク (2件)

  • フレディーの墓前にて

    以下は、2009年09月12日(土)に名古屋のカフェ・パルルで行われたトークイベント「フレディーの墓前にて」のために準備した覚え書きに、トークでの議論を踏まえて後に加筆したものです。 このトークは、コンピュータ音楽ユニット「フォルマント兄弟(三輪眞弘+佐近田展康)」の近作「フレディーの墓(On Tombeau de Freddie)が、Ars Electronia 2009 デジタル音楽部門 Honorary Mention を受賞したことを記念して行われました。この作品は、ロックグループ「QUEEN」の伝説的なボーカリスト「フレディー・マーキュリー(Freddie Mercury, 1946-1991)」の歌唱の音声的特徴を、サンプリングなどを一切使わずデジタル的に構成することで、誰もが耳に馴染んだ「あの」フレディーの声を持つ「亡霊」を作り出し、それが、二十世紀における社会主義運動の頌歌

    uchuuyarou
    uchuuyarou 2009/10/13
    面白いので要考察。
  • 宗教紛争と「客体化された宗教」 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    いま大学院の授業で、関根康正さんの『宗教紛争と差別の人類学』(世界思想社、2006年)を講読しています。こののなかで、関根さんは、インドの今日の宗教紛争を招いているヒンドゥー・ナショナリズムとイスラーム主義双方の「コミュナリズム(宗教対立主義)」の台頭に対して、セキュラリズム(世俗主義)を擁護しようという論調があるけれども、コミュナリズム対セキュラリズムの構図では、宗教紛争を解決することも読み解くことはできないと言っています。 すなわち、特定宗教を普遍的価値として主張するコミュナリズムと、すべての宗教の価値評価を保留し私的領域に押し込めるセキュラリズムの対立は、見せかけのものであり、両者は、「宗教を対象化して眺められるような近代思考としての世俗化した社会認識を共有している」(41頁)と言います。 つまり、セキュラリズム(世俗主義)もコミュナリズム(宗教対立主義)も、宗教を「客体化」してい

    宗教紛争と「客体化された宗教」 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    uchuuyarou
    uchuuyarou 2009/10/13
    ヒンドゥーとイスラムを同じ「宗教」として並べるのことにそもそも無理がある、という話を思い出した。