「実感」の政治性 http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html あずまんの記事そのものについてはあんまり突っ込んでなかったけど、いくつか。 まず、いろんな人が言うように、公的真実がどうこう、というあたりのことは、表現の自由との違いがわからないし、ここでなぜポストモダン系リベラルなどとあえて名付けなければならないのかがサッパリ分からない。そして、なぜあずまんは「事実」や例えばこちらのように「正義」と言わず、繰り返し「真実」というのか。「真実」といってしまうと、「事実」と「正義」とが混同されてしまうように思うのだけれど。「真実」になんの含意があるのかがいまいちつかめない。 それに、ときに「自己矛盾を抱える」とか言ってるけど、私的に許しがたくても公的には存在を許容するしかない、なんて、どこが自己矛盾な訳? 表現の自由にまつわるごく基本的な話でしょ