安倍政権支持者は事実を改変するでしょうから、10万円支給までの経緯は皆こう覚えておきましょう→「多数の有権者と野党は3月中旬からずっと一律現金給付を要求していたのに、安倍政権は1ヶ月間もあれこれ渋り続けた挙げ句、連立相手の公明党が… https://t.co/k4lbvHPm41
自粛しない人は「犯罪者」「極悪人」とみなされる 「外出・接触8割減」のスローガンのもとはじまった、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための「自粛」要請。市民社会はその要請に応じ、街は人どおりが少なく閑散としており、閉ざされた店の入口には「一時休業」の張り紙が目立つ。 現在のところ、政府や自治体から発信されているのは、あくまで「自粛要請」というお願いベースの申し出に過ぎないものである。「お願い」である以上、本来ならばこちらにはその申し出を断る自由があるはずなのに、そのお願いを聞き入れなかった者は、まるで社会の法秩序を逸脱した犯罪者・極悪人であるかのようにみなされ、市民社会から「私刑」される——そのような相互監視的な同調圧力によって、緊迫感と閉塞感が高まりつつある。 新型コロナウイルスの感染拡大にともなう緊急事態宣言が出ている中、スポーツクラブが営業していることに腹をたて、入口を蹴って壊したと
最近、リベラルとは何だろう?自分が『リベラル』と呼ばれる側と相いれない理由は何だろう?ということを考える事がある。 これから書くことは、あくまで私見にすぎないので、異論がある事は承知しているが、ひとまず私が考えてることを書いてみたい。 今後も、私が考えていく上での参考にはなると思うので、思うことがあればブコメでも、トラバでも、してくれたらいい。 リベラリズムの定義なんてものを学ぶつもりもないので、政治哲学的にどういったものが正しい定義になるのかは知らない、ということは言っておきたい。 だが、『リベラル』とカッコを付けて呼ばれる人々=朝日新聞や立憲民主党の一部に代表される戦い方を批判される人たち であってすらも、根底にあるものは学識者などと変わらないのではないかと、様々な媒体で意見を見て肌で感じている。 それは 「自分を含めて、全ての人間は弱者になりうる。故に弱者は全てを救うべきだし、そうい
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