ようやくリリースされた、Nirvana『Live At Reading』を観た。 1992年8月30日、Nirvana最後のピースと言われ、伝説と呼ばれていたその映像は、 あらためて言うのもはばかれるほど、凄まじかった。 けれどそれは、全25曲に放たれた圧倒的なエナジーのことでも、 アップにされたギターが血染めだったことでも、 よく語られる、最後に敢行される見慣れた破壊行為のことでもなかった。 それはやはり、カート・コバーンのその表情に尽きた。 あの、いつも眠そうな、ダルで退屈そうなカートの表情。 フラストレーションをバカでかい音量で鳴らすことに何某かの意味はあるはずだ、 そんな物言いがグランジの定義として語られてきたし、確かにそれはそうなのだけど、 ではなぜグランジだけが、というかカートだけが、 ロックの歴史においていまなお特異な極北としてポツンと存在しているのか、 そのことを十分に説明