トゥール・ポワティエ間の戦い(トゥールポワティエかんのたたかい、フランス語: Bataille de Poitiers、アラビア語: معركة بلاط الشهداء)は、732年にフランス西部のトゥールとポワティエの間で、フランク王国とウマイヤ朝の間で起こった戦い。ツール・ポアティエの戦いと呼称することがある。 その後も735-739年にかけてウマイヤ軍は侵攻したがカール・マルテル率いるフランク王国連合軍により撃退された。 名称[編集] 英語では「Battle of Tours(トゥアー(トゥールの意)の戦い)」、アラビア語では「معركة بلاط الشهداء(マウラカト・バーラト・アル=シュハーダ(殉教者の道)の戦い)」と呼ばれる[1]。イスラム教徒側の呼称の由来は14世紀モロッコのマラケシュの歴史学者イブン・イダーリー(英語版)の歴史書「アル=バヤーン・アル=マグリブ(英