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ethnicsに関するultraquizのブックマーク (15)

  • ニヴフ - Wikipedia

    ニヴフ/ニブフ(Nivkh、нивх)、ロシア語の複数形ではニヴヒ/ニブヒ(Nivkhi、нивхи)は、主としてロシアに住む少数民族である。その多くは樺太(サハリン州)、アムール川(黒竜江)下流域に住んでいる[1]。1979年の人口は約4,400人[1]。かつては、ギリヤーク(Gilyak)、複数形ギリヤーキ(Gilyaki)と呼ばれた[1][2]。アイヌとも、ツングース・満洲系諸族やモンゴル系民族とも系統の異なる民族であり、古シベリア諸語(旧アジア諸語)の一つである固有の言語ニヴフ語を話す[1][2]。歴史的にはアイヌやツングース・満洲系の諸民族と密接なかかわりを有し、文化要素においても共通性が認められる[1][2]。 名称[編集] ロシア極東地方の2010年国勢調査におけるニヴフ集落 ニヴフの集落(2002年) ニヴフが50%以上を占める集落が赤、25-50%が黄、25%未満の集落は

    ニヴフ - Wikipedia
  • ウィルタ - Wikipedia

    ウィルタ(ウィルタ語: уилта、ロシア語: Ороки)は、ロシア連邦サハリン州の樺太(サハリン島)東岸を主な居住域とする少数民族で、ツングース系に属する[1][注釈 1]。その生活の舞台は、伝統的には樺太中部の幌内川流域と北部のロモウ川流域であった。アイヌからはオロッコ (Orokko) と呼ばれた[2][3]。オロチ族ないしオロチョン族と混同されることもあるが、異なる民族である[4]。来の言語はツングース諸語の系統であるウィルタ語である[5]。なお、言語学者を中心にUiltaを「ウイルタ」と書くこともある。 居住域と人口[編集] ロシア極東地方の2010年国勢調査におけるウィルタ集落 ウィルタは、ロシア連邦による2002年の国勢調査ではロシア国内に346人おり、そのうち、298人はサハリン(樺太)で生活している。主な居住域は、かつてはサハリン島の中部から北部にかけての東岸(幌内川

    ウィルタ - Wikipedia
  • バスク人 - Wikipedia

    分離主義者が主張するイベリア半島の民族分布。この論に立つ場合、スペイン人は諸民族の大部分を統合する概念となる。 「バスク祖国と自由」(ETA)の構成員と支持者達。スペイン内戦でフランコ軍との戦いに殉じた独立派兵士の死を悼む式典を行っている。 「バスク祖国と自由」(ETA)によって書かれた壁画。シンボルマークにナバラ王国の紋章が用いられているのがわかる。 バスク人(バスクじん、スペイン語: vascos, バスク語: euskaldunak)とは、ビスケー湾岸でピレネー山脈西端部にある、伝統的にバスク地方として知られる地域に元来居住している系統不明の民族。文脈によって、以下のどちらかを指す。 バスク地方生まれかバスク地方在住であり、非バスク人であると自己定義していない人物。例えば、バスク人ではなくガリシア人やフランス人と自己定義している人物はバスク人とはみなされない。 非バスク地方生まれだが

    バスク人 - Wikipedia
  • 先住民 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "先住民" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年11月) ブラジルのインディオ オーストラリアのアボリジニ サーミ人, 1936年 先住民(せんじゅうみん)とは、ある土地に元来住みついている人間集団のことである[1]。とくに、外来の侵略者や植民者から区別して呼ぶ場合に用いられる[1]。原住民とも。歴史的には、とくに大航海時代(「地理上の発見」)以降、主としてヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオセアニアの地域で初めて接触した諸民族を指すことが多い[1]。 名称と定義[編集] 英語:「民族」という概念を強調し、「先住民族」(英

    先住民 - Wikipedia
  • 韓国のナショナリズム/桓武天皇の「ゆかり」とは?

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    ultraquiz 2008/02/13
    ナショナリズムは軽やかに
  • ツングース系民族 - Wikipedia

    ツングース系民族(ツングースけいみんぞく、ロシア語: Тунгусо-маньчжурские народы、英語: Tungusic peoples、中国語: 通古斯民族 Tōnggŭsī mínzú)は、満洲からシベリア、極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族に属する言語を母語とする諸民族のこと。 ツングース系民族は、北部 (エヴェンキ=ツングース) と南部(女真-ナナイ)の主要な2系統に分けられ、また、両者の中間グループ(オロチ-ウデヘ)が認められることがある。 名称[編集] ツングース系民族の分布図 緑色は北方ツングースの諸民族、赤色は南東ツングースでアムール川(黒竜江)流域やサハリンに住む諸民族、青色は南西ツングース(満洲族、シベ族) 「ツングース系」なる名辞は人為的なものであり、「ツングース諸語」とみなされる諸言語を話す人びとを一括して指しているにすぎない[1]。そ

    ツングース系民族 - Wikipedia
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    ultraquiz 2008/01/29
    北東アジア地域に住み、ツングース諸語に属する言語を母語とする諸民族のこと。満州族、女真族など含む
  • アイヌ - Wikipedia

    アイヌの旗(英語版)(砂澤ビッキ作) アイヌ(アイヌ語: Aynu / アィヌ、ロシア語: Айны)は、北は樺太から北東の千島列島・カムチャツカ(勘察加)半島、北海道を経て、南は州北部にまたがる地域に居住していた民族である[3]。現在は日国内に大部分が居住している。2019年5月に施行された「アイヌ施策推進法」では「日列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族である」と明記されている。 概要[編集] アイヌは永くオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた[4]。すなわち生業から得られる毛皮や海産物などをもって、黒竜江下流域や沿海州との山丹交易を仲介したほか、カムチャツカ半島南部の先住民族のイテリメン族と交易を行っていた。また、津軽海峡を隔てた日列島の和人とも交易を行い米などの料や漆器、木綿、鉄器などを入手していた[4]。 アイヌは、元来は狩猟採集民族であり、文字を持たず、物々交換によ

    アイヌ - Wikipedia
    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/29
    アイヌの祖先は縄文人の一部。その詳細な過程、縄文人集団から和人集団とアイヌ集団への分化過程については不明。祖先または文化の母胎となった集団が東北地方にも住んでいた可能性が高いことが推定されている
  • 蝦夷 - Wikipedia

    神武東征伝説[編集] 蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日書紀』神武東征紀中に詠まれている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。 えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず (訳:えみしを、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった) 「愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒」[注 3] しかし、この来目歌がどの程度史実を反映するものかどうかは判然とせず、またここで登場する「えみし」が後の「蝦夷」を意味するかどうかも判然としないため、古い時代の蝦夷の民族的性格や居住範囲については諸説があり確かなことはわかっていない。 『日書紀』景行天皇条には、武内宿禰(実在不明)が北陸及び東方諸国を視察した際の記述として「東の夷(あずまえびす)の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。

    蝦夷 - Wikipedia
    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/29
    蝦夷(えみし)=ヤマト朝廷時代頃までに本州東部東北部にいた民族と蝦夷(えぞ)=中世以降のアイヌとは異なる。蝦夷(えみし)の民族性は分かっていない。大和民族の辺境、アイヌ、ツングース族など諸説。
  • 隼人 - Wikipedia

    隼人の楯 隼人(はやと)とは、古代日において、阿多・大隅(現在の鹿児島県土部分)に居住したとされる人々[1]。 概要[編集] 隼人駅前に展示された隼人の盾 日神話には海幸彦が隼人の阿多君の始祖であり、祖神火照命の末裔であるとされる[2][3]。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「(犬のように)吠える人」の意味とも[4]、「ハヤブサのような人」の形容とも[5]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[6](あくまで隼人は大和側の呼称)。 風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、兵部省の被官、隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日人男性の人名としても用いられる。 歴史[編集] 熊襲との関係[編集] 古く熊襲と呼ばれた人

    隼人 - Wikipedia
    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/29
    説話の類型(大林太良ら)などから 、隼人文化はオーストロネシア語系文化であるとの説もあるが、直接的証拠はない。
  • 熊襲 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "熊襲" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年1月) 熊襲(くまそ)は、日の記紀神話に登場する、現在の九州南部にあった襲国[1](別称 建日別・熊曾国[2])に拠地を構え、大和王権に抵抗したとされる人々、また地域名自体を表す総称である[3]。『古事記』には熊曾、『日書紀』には熊襲と表記される。『筑前国風土記』では球磨囎唹という連称表記が見え、これを熊襲と同一視する意見もある[4][5]。ただし、熊襲を「球磨+曽於」と解することは語呂合わせであるとの批判もある[6]。 イサオ・タケル制[編集] 景行朝の記述として、熊

    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/29
    現鹿児島県霧島市周辺に居住した部族。ヤマト王権への臣従後の「隼人」。>言葉、文化、風貌が異なる。おそらく南方からの海洋民族の末裔で6000年頃前の姶良カルデラ噴火 以前の上野原遺跡の住人か?
  • 渡来人 - Wikipedia

    渡来人(とらいじん)とは、古代に中国や朝鮮半島から日に渡来した人々およびその子孫のこと[1]。縄文時代ないし弥生時代にすでに日へ渡来した人々がいたことが窺われ、また平安時代以降も日に渡って来た人々はいたが、歴史上特に重要な意味をもつのは4世紀末から7世紀後半に移住した渡来人である[1]。 人類学では、弥生時代以降にユーラシア大陸から渡来した人々(渡来系弥生人など)の総称として用いられることが多い[2][† 1][3]。 渡来は一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの移入の波があったと考えられている。また、そのルーツに関しては、朝鮮半島、中国大陸、満洲にシベリア大陸、中東諸国などさまざまである。 概説[編集] 3世紀末 - 6世紀、古墳時代にはヤマト王権に仕える技術者や亡命者として朝鮮半島から人々が渡来した。4世紀後半から5世紀にかけて、ヤマト王権は百済と同盟のために百済が海を渡っ

    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/29
    縄文人、弥生人という呼称は意図的に避けていると思われる。>日本人全体をみると弥生人(渡来人)の混交の影響は小さいというのが最近の研究結果。弥生人は水田稲作など文化をもたらしそれと政治をもたらしたか?
  • 大和民族 - Wikipedia

    列島への到達経路の考察[編集] Y染色体ハプログループの拡散 大和民族に連なる東アジアのY染色体ハプログループと民族移動 ミトコンドリアDNA(母系)の世界拡散を表す想定地図 Y染色体ハプログループ(父系)の研究では、日人の中にはハプログループD-M64.1(縄文人)とハプログループO-M176(弥生人)が存在することが判明した。このうちハプログループD-M64.1の系統は日人に多く見られるタイプで、朝鮮半島、中国人にはほとんど見られない種であることも判明した。これは縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌに88%見られることから、D系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だとされる。また州日人は35%にみられるなど、約3人に1人の割合でこの系統に属している。 アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーのY染色体分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット人も50%の頻度で

    大和民族 - Wikipedia
    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/29
    日本人(アイヌ・沖縄人含)は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていない、という研究結果(脚注3)では、大和朝廷のルーツ?
  • Etruscan civilization - Wikipedia

    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/29
    ローマ人に吸収される前のイタリア先住民の国家。エトルリア人は海を往来する民族、古代地中海世界その存在が記述。言語系統が印欧語族と全く異なる>海からきた民族と。弥生人前に日本に東南アジアの民がいたように
  • Latins - Wikipedia

    ultraquiz
    ultraquiz 2008/01/28
    紀元前2000年期に北方からそこに移住した太古のイタリアの民族であった。彼らは、共通の言語(ラテン語)共通の宗教的思想を持っていた。
  • ペルシア人 - Wikipedia

    古代ペルシアの貴族と兵士の服装 ペルシア人(ペルシアじん、ペルシア語: فارس‎、英語: persian)は、中東のイランを中心に住み、ペルシア語を話す人々。イラン系民族の一つ。 一般的定義[編集] ペルシア語の話者の分布図 アケメネス朝ペルシアの最大版図 紀元前550年 - 紀元前330年 アケメネス朝ペルシアの初代国王・キュロス2世 「ペルシア人」の民族名称が指し示す範囲は時代、地域、文脈などによってさまざまに伸縮する。 もっとも広義には、歴史的なイラン地域および中央アジア方面に住み、主にペルシア語を語る人々のことを漠然と指す。狭義にはイラン・イスラーム共和国籍を有する人(イラン人)のうち、もっぱら定住生活をとり、ペルシア語を主に語る集団を指す民族名称ファールスィー(後述)の訳語である。 なお、「ペルシア人」を意味する他称をもつ人々として、アフガニスタンのファールスィーワーンやインド

    ペルシア人 - Wikipedia
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