トヨタ自動車が水面下で準備を進めてきたインドなどの新興国向け低価格車開発が、大詰めを迎えつつある。 これは2005年頃からトヨタが取り組んできた「エントリー・ファミリー・カー(EFC)」と名づけた車両だ。新興国市場を対象に、セダンなどで「80万円程度が目標」(トヨタ経営幹部)という価格帯を狙い開発を進めてきた。 丸投げ禁止で原価削減 最初に投入される国として期待されるのはインドだ。2006年度は184万台(乗用車と商用車の合計)と日本の3分の1程度の市場規模ながら、今後は毎年10%以上の成長が見込まれている。 同国でトヨタは、「カローラ」を250万円以上、ミニバンの「イノーバ」を200万円以上の価格で投入しているものの、約60万円のクルマなどを販売するスズキが乗用車市場の半分を占めている。現地でトヨタ車は高級車と位置づけられ、乗用車でのシェアは4~5%程度と低い。そこで、従来の半額以下の価
日本語の起源(にほんごのきげん)とは、言語学上の論点のひとつである。 日本語は、孤立した言語のひとつとされ、その系統については定説はない。 本項目では、主として日本語が他の言語から派生したとする仮説に基づいた、日本語(日琉語族)と他の言語(語族)との系統関係(日本語系統論ともいう)について解説する。 概要[編集] 日本語(本土方言、あるいは日本語派)と琉球列島の琉球語(琉球方言、あるいは琉球語派・琉球諸語)との系統関係は明らかである[注 1]。国際的には、両者を別言語とみなし、合わせて日琉語族を形成するという立場が一般的であるが、日本語の起源論では、琉球語と日本語の系統関係は証明済みとし、「日本語の起源」という言葉で「日本語+琉球語」全体(日琉語族)の起源を論ずることが一般的である[注 2]。 これまでにいくつかの系統関係に関する理論仮説は出されてきたものの総意を得たものは無い[2][3]
語族の一覧(ごぞくのいちらん)は、世界の語族(孤立した言語[1]を含む)の一覧である。 概要[編集] 語族は諸言語に共通性を見出し、祖語があるのではとの意識が学究的動機に発展して成立した分類体型であり、比較言語学の方法によって同系統と証明された言語群の最上位のグループ名である。(その下位は語派、さらにその下位は語群。) 語族は、歴史学、民族学などにおいて民族集団の分類に用いられることが多く、それぞれの「~語族」に基づき「~人」、「~系民族」、「~族」などと表現される[2]。 次節以降では自然言語の語族の一覧を掲載する。†は比較言語学の記号で、記号が付属している言語は現在の死語を意味する。自然言語以外はその他とし、リンク先等を参照のこと。 コイサン諸語:かつてはコイサン語族とされたが、現在は独立した語族の集合体(系統関係は未証明)とされる。吸着音などが特徴的。 ジュー・ホアン語族 ツウ語族
Contemporary distribution (2005 map) of the world's major language families (in some cases geographic groups of families). This map includes only primary families i.e. branches are excluded. See Distribution of languages on Earth for greater detail. A language family is a group of languages related through descent from a common ancestral language or parental language, called the proto-language of
アルタイ諸語(アルタイしょご、英: Altaic languages)は、ユーラシア大陸を横断する形で分布する言語連合である。かねて歴史比較言語学において共通点が指摘されてきた。歴史的にはウラル・アルタイ語仮説に由来し、一般にテュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族からなりたつ。これらの諸言語が共通の祖先(祖語)を持ち、アルタイ語族をなすという仮説がながらく提唱されており、1960年代までは広く受け入れられていた[1]が、21世紀現在、言語学界においてこの主張は議論の対象となっている[注釈 1][注釈 2][注釈 3][注釈 4]。 広義にはこれらに日琉語族、朝鮮語族(まれにアイヌ語族やニブフ語)も加えられ[1]、拡大アルタイ語族(英: Macro-Altaic languages)、また近年はマーティン・ロベーツらの造語で「トランスユーラシア語族(英: Transeurasian la
ツングース諸語の言語分布の詳細 1. エヴェン語 2. エヴェンキ語 3. ネギダール語 4. オロチョン語 5. キリ語 6. オロチ語 7. ウデヘ語 8. 満洲語 9. シベ語 10.ナナイ語 11.ウィルタ語 12.ウリチ語 中国国内の言語分布図。ツングース諸語は、 Tungusicで示される。 ツングース語族(ツングースごぞく)は世界の基本となる語族の一つ。主にシベリア東部・沿海地方、満洲(中国東北部)に住むツングース系民族の言語である。 言語類型論的には膠着語であり、複雑な格システム(多くの言語に格の一致がある)や時制・相の区別が発達した言語が多く、南ツングース諸語満洲語群を除いて所有接辞も用いられる。また母音調和が顕著であり(母音調和の厳密性については各々の言語でまちまち)、外来語を除いて語頭にRが立たない傾向がある。これらはチュルク語族・モンゴル語族と共通する部分が
ツングース系民族(ツングースけいみんぞく、ロシア語: Тунгусо-маньчжурские народы、英語: Tungusic peoples、中国語: 通古斯民族 Tōnggŭsī mínzú)は、満洲からシベリア、極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族に属する言語を母語とする諸民族のこと。 ツングース系民族は、北部 (エヴェンキ=ツングース) と南部(女真-ナナイ)の主要な2系統に分けられ、また、両者の中間グループ(オロチ-ウデヘ)が認められることがある。 名称[編集] ツングース系民族の分布図 緑色は北方ツングースの諸民族、赤色は南東ツングースでアムール川(黒竜江)流域やサハリンに住む諸民族、青色は南西ツングース(満洲族、シベ族) 「ツングース系」なる名辞は人為的なものであり、「ツングース諸語」とみなされる諸言語を話す人びとを一括して指しているにすぎない[1]。そ
アイヌの旗(英語版)(砂澤ビッキ作) アイヌ(アイヌ語: Aynu / アィヌ、ロシア語: Айны)は、北は樺太から北東の千島列島・カムチャツカ(勘察加)半島、北海道を経て、南は本州北部にまたがる地域に居住していた民族である[3]。現在は日本国内に大部分が居住している。2019年5月に施行された「アイヌ施策推進法」では「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族である」と明記されている。 概要[編集] アイヌは永くオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた[4]。すなわち生業から得られる毛皮や海産物などをもって、黒竜江下流域や沿海州との山丹交易を仲介したほか、カムチャツカ半島南部の先住民族のイテリメン族と交易を行っていた。また、津軽海峡を隔てた日本列島の和人とも交易を行い米などの食料や漆器、木綿、鉄器などを入手していた[4]。 アイヌは、元来は狩猟採集民族であり、文字を持たず、物々交換によ
神武東征伝説[編集] 蝦夷「えみし」についての形式上最も古い言及は『日本書紀』神武東征紀中に詠まれている来目歌の一つに愛濔詩として登場する。 えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず (訳:えみしを、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった) 「愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒」[注 3] しかし、この来目歌がどの程度史実を反映するものかどうかは判然とせず、またここで登場する「えみし」が後の「蝦夷」を意味するかどうかも判然としないため、古い時代の蝦夷の民族的性格や居住範囲については諸説があり確かなことはわかっていない。 『日本書紀』景行天皇条には、武内宿禰(実在不明)が北陸及び東方諸国を視察した際の記述として「東の夷(あずまえびす)の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。
上野原遺跡(うえのはらいせき)は、鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森にある縄文時代早期から中世にかけての複合遺跡。国の史跡。遺跡は歴史公園の鹿児島県上野原縄文の森として整備されている。また、展示施設や鹿児島県立埋蔵文化財センター等が敷地内に併設されており、鹿児島県内の考古学研究の拠点となっている。 概要[編集] 出土した壺形土器 1986年(昭和61年)に、国分市(現・霧島市)において工業団地(国分上野原テクノパーク)の造成中に発見された。同年から1996年(平成8年)にかけて鹿児島県教育委員会が発掘調査を行い、縄文時代早期前葉から中世までの遺跡群を含む複合遺跡であることがわかった[1]。特に遺跡群の最下層には発見当時において日本列島で最古の大規模な定住集落跡があり、出土した土器が1998年(平成10年)に国の重要文化財に、遺跡の一部が1999年(平成11年)に国の史跡に指定された。「縄文文
隼人の楯 隼人(はやと)とは、古代日本において、阿多・大隅(現在の鹿児島県本土部分)に居住したとされる人々[1]。 概要[編集] 隼人駅前に展示された隼人の盾 日本神話には海幸彦が隼人の阿多君の始祖であり、祖神火照命の末裔であるとされる[2][3]。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「(犬のように)吠える人」の意味とも[4]、「ハヤブサのような人」の形容とも[5]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[6](あくまで隼人は大和側の呼称)。 風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、兵部省の被官、隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日本人男性の人名としても用いられる。 歴史[編集] 熊襲との関係[編集] 古く熊襲と呼ばれた人
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "熊襲" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年1月) 熊襲(くまそ)は、日本の記紀神話に登場する、現在の九州南部にあった襲国[1](別称 建日別・熊曾国[2])に本拠地を構え、大和王権に抵抗したとされる人々、また地域名自体を表す総称である[3]。『古事記』には熊曾、『日本書紀』には熊襲と表記される。『筑前国風土記』では球磨囎唹という連称表記が見え、これを熊襲と同一視する意見もある[4][5]。ただし、熊襲を「球磨+曽於」と解することは語呂合わせであるとの批判もある[6]。 イサオ・タケル制[編集] 景行朝の記述として、熊
渡来人(とらいじん)とは、古代に中国や朝鮮半島から日本に渡来した人々およびその子孫のこと[1]。縄文時代ないし弥生時代にすでに日本へ渡来した人々がいたことが窺われ、また平安時代以降も日本に渡って来た人々はいたが、歴史上特に重要な意味をもつのは4世紀末から7世紀後半に移住した渡来人である[1]。 人類学では、弥生時代以降にユーラシア大陸から渡来した人々(渡来系弥生人など)の総称として用いられることが多い[2][† 1][3]。 渡来は一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの移入の波があったと考えられている。また、そのルーツに関しては、朝鮮半島、中国大陸、満洲にシベリア大陸、中東諸国などさまざまである。 概説[編集] 3世紀末 - 6世紀、古墳時代にはヤマト王権に仕える技術者や亡命者として朝鮮半島から人々が渡来した。4世紀後半から5世紀にかけて、ヤマト王権は百済と同盟のために百済が海を渡っ
日本列島への到達経路の考察[編集] Y染色体ハプログループの拡散 大和民族に連なる東アジアのY染色体ハプログループと民族移動 ミトコンドリアDNA(母系)の世界拡散を表す想定地図 Y染色体ハプログループ(父系)の研究では、日本人の中にはハプログループD-M64.1(縄文人)とハプログループO-M176(弥生人)が存在することが判明した。このうちハプログループD-M64.1の系統は日本人に多く見られるタイプで、朝鮮半島、中国人にはほとんど見られない種であることも判明した。これは縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌに88%見られることから、D系統は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だとされる。また本州日本人は35%にみられるなど、約3人に1人の割合でこの系統に属している。 アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーのY染色体分析でもYAPハプロタイプ(D系統)が扱われ、さらにチベット人も50%の頻度で
○ローマ誕生 ギリシアの地に、ドーリア人が南下した前12世紀頃。 イタリア半島においては、後にギリシャ人によってイタリキと呼ばれるインド=ヨーロッパ語族系の民族が南下します。さらに前6世紀頃、イタリキの一派ラテン(ラティニ)人の中の、さらに一氏族が、現在のローマの地に国家を建国。のち、エトルリア人系の王を追放し、共和政の国家を樹立します。 詳しく見ていきましょう。 どこまで信用して良いか解りませんが、ローマ建国神話によると、トロヤ戦争で敗北した将軍アイエネスと、ラテン人の女王ラウィーニアとの間に生まれたシルウィウス王の末裔の子孫である、ロムルスとレムルスという双子のうち、ロムルスがラテン人のうち約3000人を引き連れ、ローマの地に目を付けて建国したことに、ローマの歴史が始まります。 なお、この双子は軍神マルスの子で、オオカミに育てられた、とも言われますが、いくら何でもこれは信用に値しません
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