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ブックマーク / www.nextftp.com (9)

  • 石川遼さんと浅田真央さんを「理想の子ども」とし過ぎることへの懸念----文科省が、無神経でなければ良いのだが(汎適所属)

    【石川遼さんと浅田真央さんを「理想の子ども」とし過ぎることへの懸念----文科省が、無神経でなければ良いのだが】2008/04/13 今の日社会で子どもが置かれている立場や期待されているモノが何であるかを端的に示す出来事があったので、文章にして書き留めておくことにする。日刊スポーツのネット版記事によれば、09年度から改訂される学習指導要領のPR小冊子「生きる力」に、「学力だけでなく人間性や体力など、変化の激しい現代社会を生き抜く力を備えた著名人」として、石川遼さんと浅田真央さんの直筆文を載せたのだという。 確かに、石川遼さんと浅田真央さんは、学力だけの人間ではないし、人間性や体力の面でもタフのようにみえる。世界に対して立派に花を咲かせる人材だと言えるだろう。学習指導要綱を読む大人達からみて、この二人が理想化しやすい子どもであることは論を待たない。 しかし日刊スポーツの記事のなかで、文科省

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    umeten 2008/04/14
    90年代を振り返れば、貴花田と若花田は「理想の兄弟」だったよね!!!
  • オタク中年化問題(汎適所属)

    編集家・竹熊健太郎さんのウェブサイトで、「フジでオマイラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」という記事を拝見した。この記事において竹熊さんは、「才能無き者が無いままにクリエイターとして突き進んでいくこと」に関して色々なことを書いている。自分にそれほどの才能や情熱が無いにも関わらず、オタク趣味ばかりにエネルギーを差し向け続けたまま、いい歳に来てしまった人がどうなるのかについても、フジテレビ「プレミア5」の放送内容と合わせて解説している。とても面白い内容なので、まだ読んでないオタクさんは是非一度読んでみて欲しい。 それはそうとして、この記事を読んで私が思い返したのは、「そういえば最近、オタク仲間と話をしている時に、オタク中年化問題が話題になることが多いなぁ」ということである。ある程度オタク界隈に詳しい人と話をすると、なにかしらの形でオタク中年化問題が話題に出ることがある。このテキストでは、オタ

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    umeten 2007/07/16
    また「現実」か。カラスはゴミ袋をつついて開いて見せるが、それは自分のエサをあさっているだけだという形容がピタリと当てはまるような気がしますが。
  • 能動過小傾向がみられることは「悪」か?(汎適所属)

    他者に対する能動過小傾向が、現代の若年男性の幾つかのグループでみられることは今回の特集で散々述べたことだが、今回は、敢えて一章を割いて、『能動過小のオタク非モテや引きこもりは悪だ!』とするむきに反対意見を提示しておきたい。自戒もこめて。 しばしば、オタクやモテない男や引きこもりは社会的に良くないものとみられやすい。あるいは蔑視されやすい。恋愛するのが義務であるかのような風潮は、モテない男を異常視するような雰囲気を生みだしているし、引きこもりには“穀潰し”“社会のゴミ”というレッテルが貼り付けられやすい。『電車男』『2005年のオタクブーム・メイド喫茶ブーム』も、オタクの社会的認知を向上するというよりは見せ物としてのオタクを印象づけただけだった。オタク・モテない男・引きこもりを巡る蔑視が問題視される要因のなかには、自意識の問題※1に由来する、彼らの被害的な態度が関与している部分もあるにせよ

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    umeten 2006/05/30
    オタク・引きこもり・モテない男は、憂さを晴らしたり不安を解消したりにする為の格好のスケープゴートにされている。スケープゴートを叩いて利得を得ている人達の“正しさ”は、道徳的に適切なものと言えるのか。
  • 「他人に迷惑をかけない」という要請は、現代の子ども達の適応に何をもたらすのか(汎適所属)

    ご覧の通り、東京の数字だけが「身内や自分ではなく赤の他人に迷惑をかけず大事にせよ」という数字が突出しているのがわかる。他の四都市にはこれがみられないのである。このような差異が生まれる要因としては、都市化してからの時間の程度、情報化の進みっぷり、民族性や国民性、儒教・道教的精神の残存度合いなど色々絡んでのことだろうが、ともかく違いがあることだけはよくわかる。よって、私はその後の木走さんの議論を「うんうん、確かにそうだ」と思いながら読み進むことになった。しかし、なんとなく何か大切なものを見落としているような違和感が残っていた。 ・「他人に迷惑をかけるな」、という時の「他人」の相違点(1948年と2006年) その違和感の正体は何だったのか?それは、「他人に迷惑をかけるな」という時の「他人」とはどんな他人なのか、が件のリンク先で区別されていなかったことに由来しているとようやく私は気付いた。木走日

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    umeten 2006/02/15
    これが、否定的思考の源泉なのか。「しない」ことこそが、行動原理になると。つか、最終的には自殺に落ち着くよな、これは。自閉教唆だもの。
  • 汎用性の高さがコミュニケーションに求められる時代(1・文化ニッチ編)(汎適所属)

    【汎用性の高さがコミュニケーションを制する時代――昨今注目の集まる“コミュニ ケーションスキル”と、ポストモダン的状況の関係についての一考察】2006.01/22 【はじめに】 現在の日は、文化や価値観のニッチ(リンク先はWikipedia)が思いっきり細分化 されているとしばしば言われている。少なくとも10代~30代のライフスタイルをみる 限り、こうしたニッチの細分化は十分当たっているようにみえ、映像・ファッション音楽・価値観・世代などそれぞれの次元において、自分の所属しない文化ニッチの ことが簡単には把握できなくなっている。それぞれの次元のそれぞれのニッチの間 には深くて暗い溝が横たわっており、積極的に知ろうという意志のない限り、(マス メディアなどの)分厚いフィルター越しにしか溝の向こうを覗くことが出来ない※6。 一方で、2004年頃から「コミュニケーション能力」に関する言説が

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    umeten 2006/01/23
  • 再考・脱オタだけが僕らの道なのか?(汎適所属)

    ここまで延々とオタクと萌えとセクシャリティについて書いてきたが、様々な 角度から考察した限り、第三世代以降に属するオタク達の少なからぬ割合が、 心的傾向(精神病理)として劣等感や自己不全感を隠し持っているとみなされた。 “萌えキャラの特性”“No!に耐えにくい心性”“発動する防衛機制の観察”、 そして“萌えという営みの特徴と、彼らの萌えへの親和性”など、どこを見ても も萌えオタ達の劣等感・自己不全感を肯定こそすれ否定するものではなかった。 この劣等感や自己不全感が醸成していく背景はこちら等を参照して頂くとして、 今回のテキストでは、それらの劣等感や自己不全感を解決する一方法として、 脱オタという手法を再考してみたい。 ・“真に”脱オタが成功した暁には 真に脱オタが成功した時、オタク達は一体何を手にするのか? 初期の脱オタサイトが目標とした、服飾上のハンディキャップ改善が彼らの最終 ゴールで

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    umeten 2005/11/03
    >振り向いた奴は全員討死  じゃあ、後ろ向きに歩いていくことにする、よ!(とんち)
  • オタクの精神病理としての「劣等感や自己不全感など」つづき(汎適所属)

    4.脱オタ方法論で実は鍵を握っている、劣等感やルサンチマンの克服 オタクが脱オタをする時の方法論の一部や、脱オタの目的もまた、オタクが持つ種々の劣等感を疑わせる所見に満ちている。というのも、脱オタ者達は服装をどうこうしようとかいったレベルで満足する事が殆ど無く、1~3に挙げたコンプレックスがある程度解消されてきた時点で、ようやく『misson completed!』と喜びに咽ぶからである。彼らは別に服オタになりたいわけではなく、周囲の非オタや異性に認められたり、苦い内面を克服する為に脱オタを志している。ちなみに脱オタのプロセス途上、服飾そのもので劣等感や不全感の補償を達成する方向で奇形化してしまったのが服オタではないと私は疑っている。大半の脱オタ者にとって、ファッションは手段であって目的ではない。※1 率直に言って、そこそこの服を一揃い買って、オタク趣味を捨てた時点で脱オタに成功と思ったオ

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    umeten 2005/09/17
  • オタクの精神病理としての「劣等感や自己不全感など」(汎適所属)

    ・はじめに ここまで私は、萌えキャラ達の背負った宿命や萌えにおけるキャラクター⇔オタク間の、一方向的関係と、自己愛の回収手続きとしての“萌え”についてまとめてきた。さらに、サイトのあちこちに散らかるテキストで、彼らが持っている諸特徴について様々な方向からアプローチしてきた。脱オタ検討、一部ニートと一部オタクの共通性、萌えキャラや萌えの実体etc…こういった幾つかのテキストに共通するものを抽出すると、「自信の無さ」「傷つく事への敏感さ」「劣等感」という言葉に近いものが顕れてくると私は考え始めている。どこまで上手く「劣等感に近いソレ」を描写できるか分からないが、このテキストでは、その旨く表現しにくいソレを出来る限り表現してみようと思う。 繰り返すが、このサイトで取り扱う「オタク」は、世間から侮蔑される事に心を苛まれ、なおかつ内心では何とかしたいと思っているオタクであり、萌えに関する記述でも、

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    umeten 2005/09/17
  • 脳内補完における、萌えキャラとオタクとの一方向的関係(汎適所属)

    ・脳内補完における、萌えキャラとオタクとの一方向的関係 ――拒絶の無い世界における、あられもない営み―― さて、一つ前のテキストで、消費者たるオタクに常に従順で拒否を示さない属性を持ったキャラクター達がさかんに消費されている事を述べた。こういったキャラクター達が持つ属性は、前述の通り、オタクがキャラに願望を投射し、萌えな脳内補完(脳内萌えシミュラークル)を形成するのに適した、ある種のフォーマットとして機能している。だが、こういった従順なキャラとオタクとの関係は脳内補完(かそれに近い描写のなされた同人等)という閉じた場においてのみ形成されるため、キャラクターとオタクの関係は、現実の男女関係とはかなり異なっている。 コミケの三日目、成人向きの日に東館で同人誌漁りをすると、メイド・幼女・幼なじみなどの属性をひっさげた萌えキャラ達がどういった形でオタクに消費されているのか、その最も激しい部分を観察

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    umeten 2005/09/05
    「萌え=ナルシズム」理論。さてはて。
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