原発再稼働の圧力が電力会社や財界、政権の内部からも強まっている。福島原発の事故を例外として「ないこと」にし、電力需給と資本の利益のみを物差しとして、日本経済の活性化を最優先にすべきだという発想が頭をもたげている。経済とは人々の生存をきちんと保障することに最大の責任を負う社会システムであるべきだと私は考えているが、財界も政府も、「景気悪化させ経済を破綻させるような原発停止=電力供給不足とエネルギーコスト上昇を容認する気か」という恫喝によって、ある種の踏み絵を迫っている。農民や酪農家が自殺し、甘い政府の基準値すら越えて被曝する労働者が日々増大し、汚染の除去が進まないばかりかますます汚染の実態が明かになりつつある今、こうした原発のもたらしている被害を棚上げにしようとする発想に、私は深い嫌悪の感情を抱かざるをえない。「国民経済」なるものの破綻は庶民の「経済」の破綻を意味しない。しかし、逆に「国民経