硫黄島宛(あて) 今なお便り 書き綴(つづ)る 達筆なれど 老母認知症――。 戦争や平和などを詠んだ短歌を全国から募集する「八月の歌」(朝日新聞社主催、岐阜県高山市共催)で、2012年に入選した川崎市の元小学校教諭、笠原登さん(78)は、硫黄島の戦いで70年前に戦死した父を終生慕い続けた母の老境を歌った。 12年の正月。笠原さんが自宅で年賀状を書いていると、認知症を患っていた母の良久(らく)さんが隣に座り、毛筆で手紙を書き始めた。 「硫黄島 笠原喜久治様 九十八歳で元気です 平成二十四年 笠原良久」 達筆で筆まめだった母の最後の手紙となった。10日後、脳出血で倒れ、6月に亡くなった。 良久さんが亡くなったあと、部屋の棚にあった引き出しを整理しているとメモ書きが見つかった。喜久治さんが出征した日付や硫黄島から手紙を受け取った日付などがまとめられていた。 庭師だった喜久治さんは194… こちら