2024-03 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 »
2024-03 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 »
【PC】 ◆ 「人に頼れる」技術者の話 【悪態のプログラマ】 ◆ シリコンバレーのプログラマーは本当に凄いのか? ◆ 便利になって不便になった?高機能と操作の複雑さ 【Cagylogic】 ◆ 優良な財をなす投資の方法 遅くてかつ簡単に高速化できるコードを書くいくつかの方法 【steps to phantasien】 【ネット関連】 ◆ Monadius 【21世紀物理のおもちゃ箱】 Windows用横スクロールシューティングゲーム。 ◆ 「ネット初心者特有の勘違い」と「ことばを『発信』する意義について」 【hirax.net】 ◆ アボセンスされないための3か条 【アホ理系青年の主張~あれこれ情報収集分析隊~】 >100ドル達成間近でアボセンスを食らった人間から、アドセンスをやろうとしている人へのアドバイスを書いてみる 【ネット関連/教えて君】 ◆ 自分で勉強しよう。でなければ相談しよう
『生物科学』55巻1号原稿(19/August/2003版) → 出版 55(1), pp.10-14 (1/October/2003) 近年,科学と科学者を見る「まなざし」に変化があらわれてきた.従来の科学史・科学哲学とは別に,1980年代ごろから「科学論」,「科学と社会」,「科学技術社会論(STS: Science, Technology, Society)」と呼ばれる分野が新たに登場し,科学・技術・社会の相互の関わりあいについて分析している.現在の科学論は,科学倫理やリスク評価など科学や技術が社会と接する場面に活動領域を求めているように見える.場合によっては「市民」の側に立つアクティヴィストとしての役割を演じることにもなるだろう.あるいは,国・自治体やNPOを通して科学技術の政策決定に関わる場面に関与することもあるかもしれない. この科学論という新たな試みは,科学とその影響について何
新書レビューです。 「99.9パーセントは仮説」(竹内薫)と「全地球凍結」(川上伸一)は、まったく違ったテイストの科学本なのだけれど、続けて読んで妙に味わいがあった。 まず「99.9パーセントは仮説」。これは実は看板に偽りのある本。内容に忠実に沿えば「100パーセント仮説」とか、「たしかなものは何もない」といったタイトルになるべき。 実際に「科学はぜんぶ『仮説にすぎない』」(33ページ)をはじめ、類似の表現がたくさんされていて、つまり、一般には「正しいことを述べている」と思われがちな、科学を相対化する言説に満ちている。 科学的理論が、仮説であるということ自体、むしろ当たり前であって、それを必ず「仮説である」と認識するところが科学のキモだと、ぼくは感じているのだが(たとえば、宗教はみずからの主張を仮説とは言わない)、どうも世の中には「科学は正しい」という信仰があるらしく、それに対して「
週刊書評 『涼宮ハルヒの憤慨』/涼宮ハルヒをミステリ史に位置づける(インターネットアーカイブのログ) これは驚くべき論考だ。 涼宮ハルヒとミステリという取り合わせが意外だというわけではない。谷川流がかなり重度のミステリマニアらしいということは、作品のあちこちに仕込まれたマニアックなネタから容易に推察できることだ。意外なのは、日本ミステリ史についての独創的な見解が示されていることだ。 〈人間原理〉に基づいた、主観的な願望に応じて歪む世界を舞台にしている点で松本清張は小栗の後継者である。そしてこの作風の第三の重要な作家として、清涼院流水があげられる。小栗虫太郎・松本清張・清涼院流水を〈人間原理〉派として一くくりにすることができるだろう。小栗虫太郎と松本清張と清涼院流水とは! この3人の作品を少しでも読んだことがある人なら、この驚きを共有してもらえることだろう。逆に、全然読んだことがない人にはち
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く