ところが11年3月、突然、CDUは多くの票を失った。得票数はなおも最高だったが、緑の党とSPDに連立されると、すでに敵わなかった。かくしてバーデン=ヴュルテンベルク州は緑の党が政権を握り、その余震はベルリンにまで伝わった。 何故そんなことが起こったか。CDUが原発を擁護していたからだ。一方、緑の党とSPDは反原発の旗振り役だった。 ドイツ国民は、福島原発の事故の後、反原発で一致団結していた。その事故のニュースが、まだ生々しく伝えられていた頃のこと、緑の党とSPDの急伸は当然の帰結と言えた。特に緑の党は、「それ見たことか」と言わんばかりの高揚した気分を隠すことさえしなかった。 バーデン=ヴュルテンベルクでのCDUの敗退は、メルケル首相の君臨するベルリンに強い衝撃を与えた。このあと、CDUが突然方向修正をして、エネルギー政策の舵を大きく脱原発に切り替えたのは、偶然のことではない。 CDUは福島