第65回 源実朝(1192~1219年) 坊門信清の娘(1193~1274年) 鎌倉の武門の棟梁(とうりょう)に、都から「名門の姫君」が嫁いできた。東国の歴史始まって以来の衝撃的な結婚だったのではないか。鎌倉幕府三代将軍・源実朝と、前(さきの)大納言・坊門(ぼうもん)(藤原)信清(のぶきよ)の娘の婚儀である。 元久元(1204)年12月のことである。実朝は13歳で、前の年に元服し、征夷大将軍を継いでいた。一方の信清の娘は12歳。姉が後鳥羽上皇の後宮(こうきゅう)に入っており、家同士の格も釣り合っていた。 この結婚は、実朝が強く望んで実現した。当初、母の北条政子は自分の姪(めい)(実朝には従妹(いとこ))にあたる足利義兼(よしかね)の娘を勧めたのだが、実朝が「都の女性」に固執した。京都の文化にあこがれていたからである。 都の女性で、好き好んで東国に出向く人などいない。実朝の強い要望が後鳥羽上