スマートフォンを誰もが持つ今の時代からは信じられないだろうが、昭和の頃はゲイ同士が出会う機会がとても少なかった。 ジオ倶楽部では『昭和~平成、日本のゲイの出会い方はどう変わってきたか?【前編】』という記事でゲイ雑誌が誕生以降のゲイの出会い方の変遷を解説しているが、1970年代にゲイ雑誌が創刊される前にもゲイが出会う場所が口コミで広まっていた。それは主に「夜の公園」だ。 「夜の公園」がハッテン場になるのは日本に限ったことではなく、欧米でも状況は変わらない。日本とは比べ物にならないほど同性愛者への弾圧が強かったキリスト教圏では、たとえばパリの「ブローニュの森」やニューヨークの「セントラルパーク」など、一般の人が訪れない夜の公園に同性愛者が集まり暗闇でひっそりと出会いを楽しんでいた。 当時の日本で有名な「ハッテン場」は、神宮の権田原だった。JR信濃町駅近くで神宮外苑の一角である権田原は、新宿二丁
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