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ブックマーク / kechack.hatenadiary.org (55)

  • 本音垂れ流し言論 - Munchener Brucke

    社会的役割や地位が伴う人間には適切な言論が求められる。これは周囲からの役割期待であると同時に、自身のステイタスの維持のためにも必要な行為である。そういう人間が適切な言論から逸脱する言論を発する行為は、人間味を出し好感度を上げるという恣意的な目的で昔から稀に行われることがあるが、近年の日ではバックラッシュとしての音言説がよく見られる。 これは戦後の日において、より民主的な発言をする人間にステイタスを与える風潮が醸造されたことにより、言葉狩りのような状況に追い込まれた人々の積した気持ちが爆発し、バックラッシュとなったものと思われる。石原都知事の三国人発言がスルーされたのが特徴的だ。 ただこの音垂れ流し言説が余りにも蔓延し、麻痺してきたようにも思われる。最近では東横インの西田憲正社長の発言が記憶に新しい。彼は不正改造の指摘を受けた後の記者会見で「年に1〜2人しか泊まらないし、通常の客に

    本音垂れ流し言論 - Munchener Brucke
    urahayate
    urahayate 2006/07/26
  • 愛国者は信用できるか−鈴木邦男− - Munchener Brucke

    非常にいい書物だ。40年以上右翼をやってきた人物だけに重みがある。 ネットに巣う嫌中厨、嫌韓厨、むやみに敵地攻撃を叫ぶ連中が軽薄なのは言わずもがなだが、国民への愛国心の強要に躍起になる小役人。過激な見出しを並べれば雑誌が売れると薄っぺらな暴論を並び立てる保守雑誌の編集者。すべてが下らなく見える。 元と言えば、愛国心をタブー化してしまった左翼が悪いのかも知れないが、今の日で語られる愛国心は余りにも熟成していない。醜い愛国心が暴走している点では、日中国韓国と大差ない状況である。彼のような人物が愛国心を語る意味は非常に大きい。 ただ識者であっても、愛国心というものを語れないのが現状なのであろう。保守派知識人の多くも、自説が軽薄なネットウヨ連中に読まれているのを喜んでいる程度の体たらくで、真の保守主義を次世代に伝えようという意欲もなければ、間違った愛国心が暴走していることへの危機感がない

    愛国者は信用できるか−鈴木邦男− - Munchener Brucke
  • ネットウヨに関する激しい違和感 - Munchener Brucke

    私もエントリーの多くをネットウヨ批判に費やしてしまっている昨今であるが、富田メモ報道以後の右派系ブロガーの言説は常道を逸しているものが多く、批判する以前に危機感さえ感じる。もはや彼らは右翼ではないのではないかとさえ思う。 ブログでは常に政治的なエントリーを中心として自説を唱える人もあれば、たまに政治的なエントリーを入れ、日の外交姿勢の評価や北朝鮮韓国中国の批判、朝日新聞の批判などに言及する人もいる。後者のエントリーの特徴として、プロフィールが自虐的なものが多いのが特徴である。「へタレです」「引きこもりです」「35歳独身のヲタ」「思ったままダラダラと書いてます」とか書いてあると、そのエントリーに反論する気もなくなる。政治以外のテーマを見ると、ゲームやモー娘、サッカーといった普通のブログのエントリーが並ぶ。 こういうごく普通の人たちが、政治的に過激な言説を繰り返すのは激しい違和感を禁じえ

    ネットウヨに関する激しい違和感 - Munchener Brucke
  • タクシーは少ない方がいい - Munchener Brucke

    タクシーが長蛇の列を成して客待ちをする光景はすっかり日の都市で定着した。こんなことで採算が合うのかと思いきや、タクシーは費用が徹底的に変動費化され、台数を増やせば増やす程利益が出るスキームが出来上がっている。しかし、これが規制緩和の成果だと言われれば嘆かわしい。そういえば、規制緩和で需要を増やしたのは、タクシーや流通や外などの低賃金労働ばかりではないか*1? 日という国を豊かにするためには、より付加価値の高い産業を育み、高額所得者を増やしてゆかなければならない。もちろん、付加価値の高い産業は育成されてが、日の労働者の質が低くミスマッチが起きてうまくいかないケースも考えられる。しかし、そんな贅沢な悩みなど起こるべくもないのが今の日ではないか。増え続ける低賃金労働のために負け組が必要なのである。子供に愛国教育を施せばフリーターが減るとほざく政治家は死んだほうがいい、自らの政策が低賃金

    タクシーは少ない方がいい - Munchener Brucke
  • 靖国「行くのは個人の自由」、任期中の参拝示唆…首相 - Munchener Brucke

    カナダ訪問中の小泉首相は27日夜(日時間28日朝)、オタワ市内のホテルで同行記者団と懇談し、自らの靖国神社参拝について「何回行こうが問題にはならない。個人の自由ではないか」と述べ、9月までの首相在任中に参拝することを示唆した。 自民党総裁選に関しては、9月8日に告示されるとの見通しを示したうえで、「(靖国問題が)争点になるとは思わない。争点にしたい人もいるが、突き詰めれば、「中国の言い分に従いなさい」というのが靖国参拝はいけないと言う人たちだ」と強調した。 (読売新聞) - 6月28日 私はまだ終戦記念日の参拝があるかは不透明で、政治的話題作りに余念がないマスゴミがつまみいしているだけのような気もするが。 ただ靖国参拝を最初に争点化したのは首相自身であったのではないか?党内基盤の弱い小泉氏が自民党総裁選を勝ち抜くために使用した切り札であった。しかも靖国カードを使用するのは、歴代総裁の中

    靖国「行くのは個人の自由」、任期中の参拝示唆…首相 - Munchener Brucke
  • 単因論を排す - Munchener Brucke

    ○○問題は××がいけないからだ。△△さえ実行すれば問題は解決する。こういった言動を頻繁に行う人を行う人間や、そういう言動を鵜呑みにする人間は少なくないが、私の経験上こういった人間にロクな人間はいない。 複雑化した現代において、一つの原因に集約する問題などほとんどなく、あったとしてもそういう問題はとっくに解決できるのに放置されているだけのケースが多い。 単因論に惹かれる人間は、問題を矮小化して安心地帯に逃げ込み思考停止したい人か、解決法がわかっているのに解決する努力をしないでいつまでも原因は○○だと叫んでいる人、いずれにせよお馬鹿か怠け者である。 愛国心特効薬論 最近目に付く単因論は愛国心にまつわる言動である。 ニートが増えたのは国民の愛国心が足りないからで、愛国心教育を行えば解決する。 治安の悪化は国民の愛国心が足りないからで、愛国心教育を行えば解決する。 少子化は国民の愛国心が足りないか

    単因論を排す - Munchener Brucke
    urahayate
    urahayate 2006/04/14
  • 校則とは何か? - Munchener Brucke

    「学校へ行こう!MAX」という番組で校則を特集していた。 所詮バラエティー番組なので、討論とは言いながら、特異な校則をネタにしているような構成で議論は深まっていないのだが、これを見ると校則が複雑なベクトルが合成されてわけがわからない状態になっているのがわかる。当に教育上有効なツールになっているのか疑問も沸いてきたのでネタにしてみる。 どうも校則の存在基盤には様々な考えがありようだ。私が気付いたものを列挙すると。 道徳・モラル準拠論 社会の道徳やモラルを、学校生活に置き換えてわかりやすくしたものが校則であり、校則を守る教育をすることにより社会で必要な道徳やモラルの教育となる。という説。 校則保護論 校則は生徒の保護が目的であり、危険性のある行為や行動を禁止することにより生徒を保護するのが目的である。未成年の禁酒や禁煙など保護を目的とした法律と同じ考え。 管理上必要論 多数の生徒を管理するに

    校則とは何か? - Munchener Brucke
  • 体罰について - Munchener Brucke

    次のお題は体罰であった。この問題ほど議論が浅いままに放置されている問題はない。建前上は教育法で禁止されているにもかかわらず、昭和の時代までかなり黙認されてきたという不思議な行為なのである。 議論することさえタブー視されてきた一方、未だに鉄拳制裁容認論みたいなものも根強い。 ちょうと宮崎哲弥がイギリスやカナダで体罰が復活したという話*1を出したので思い出したが、そもそも階級社会のイギリスでは子どもの教育にも階級差があり、それぞれの体罰のあり方が異なっている。パブリックスクール等ではまず生徒に罪を犯したことを自覚させることを重視し、罪を犯した自覚の上で応報刑的に体罰が与えられる。一方下層階級の子どもたちは頭でわからないので体で言うことを聞かせるのである。これは恐怖を与えて恭順させることであり、教育よりレベルの低い動物の調教みたいなものである。 イギリスやカナダで復活した体罰はかつてパブリッ

    体罰について - Munchener Brucke
  • 相互愛国主義と国際的愛国主義 - Munchener Brucke

    もっとも排外的愛国主義なぞ、偽りの愛国主義だというのが私の持論です。 外国の悪口を書き立てることに熱心な人を愛国者だとさらさら思っていません。 真の愛国主義は相互愛国主義と国際愛国主義であります。 相互愛国主義とは、他国や他民族の愛国心を尊重(相手の愛国心も相互的なものでなければ成立しませんが……。)し、自らの愛国心を相対化できる愛国心。 国際的愛国心とは、自国或いは自民族以外の人間に自国の素晴らしさや自分の愛国心について語れる愛国心であります。 外国の悪口を始めたらきりがない人間に限って、日文化や伝統に関して何ら造詣がないという現実をしばしば見てきました。よく愛国者と自認できるものだと恥ずかしい限りです。北京で愛国無罪と叫んでいる連中*1と同レベルです。 子どもに愛国心を教えるべきだと熱心におっしゃる方々の愛国心とはどのような愛国心なのであろうか?世の中には名前だけのチープな愛国心も

    相互愛国主義と国際的愛国主義 - Munchener Brucke
  • おたくとは何かⅡ……おたく黎明期と小学生文化/中高生文化…… - Munchener Brucke

    前回の「おたくとは何か」id:kechack:20060226というエントリーで多くのブックマークをいただいているが、私としては何か消化不良である。最後に「フォロワー」という存在を思い出し、最後無理矢理フォロワーはオタクに非ずということにしたのだが、何か未消化である。そもそもフォロワーという存在を私はここ10年忘れ去っていたのだが、オタクとの関係で非常に重要な気がしてならないのである。 ガンダムと小学生時代 私の小学生時代というのは完全にフォロワーであった。これは私が帰国子女で、ときかく周りの友達と話題を合わせることに必死になっていたという特殊事情によるものなのか、子供文化に見られる普遍的現象で、今の小学生でも見られる現象なのか? 小学生時代の私は、スーパーカー消しゴムが流行り出したら、駄菓子屋に走り、ガンダムが流行れば朝早くからプラモデルを買うために並んだ。小学生文化においては、このブー

    おたくとは何かⅡ……おたく黎明期と小学生文化/中高生文化…… - Munchener Brucke
  • 「おたく」とは何か? - Munchener Brucke

    実はこの言葉の定義が未だにわからない。現代用語の基礎知識なぞは表層的現象の言及ばかりで言葉の定義をしなし、はてなキーワードの説明文もしっくり来ない。 ちなみにはてなキーワードでは 中森明夫氏の造語。当時は「おたく」と表記。 現在は、主に20代以降の、アニメ・漫画ゲームアイドルなどを愛好する人(たち)のことを指す。 特定の趣味分野に生活の時間や所得の多くをかける人(たち)のこと。一般層が使用する、一見矛盾した「アウトドアおたく」的表現はここからくる。 元々ロリコン漫画誌から発せられた造語の為、来は(性的表現も含む)コアな漫画・アニメマニア(特に男性)を指す蔑称。 「ファッションに関心が無い、自室にこもりがちな」暗い人物への蔑称として使用されることもあった。 各論併記では質が見えてこない。各論の範疇の違いに言及するともう少し正体が見えてくるのだが。書き換えたいのは山々なのだが、その前の

    「おたく」とは何か? - Munchener Brucke
  • 差別は数学である。 - Munchener Brucke

    後者の差別は、差別意識の露呈というより犯罪発生率の高い母集団を避けるというリスク回避の一種である。最近、医療保険や生命保険で非喫煙者の保険料率を低くしたり、自動車保険で通勤に車を使わない人の料率を低くするといったリスク分散型商品が定着しているが、それと同じ行動である。 今でこそ戦後民主主義教育の効果か?こう言う人は少なくなってきているが、戦前世代の親はよく「○○ちゃんと遊んではいけません」とか「○○町の子供と遊んではいけません」なんてはっきり言ったものだ。悪しき差別意識と糾弾することは簡単だが、悪い友達を作ってほしくないという親心は古今東西変わらないものであるから難しい。 戦後世代の人間だって、リスク分散行為はよくやる。例えばマンションを買うときに一番重視されるのが地域の治安や教育環境である。東京などでは都営住宅と同じ学区域にマンションを建てると売れないというのは業界の常識である。 彼らは

    差別は数学である。 - Munchener Brucke
  • 典型的なへタレレイシスト - Munchener Brucke

    お隣の日記に引っかかったので晒しておきます。 こう言う人はリスク回避行動でなく、最初から差別意識で満たされた悪意の差別でしょう。 http://d.hatena.ne.jp/NemeaLion/20060219/1140308100

    典型的なへタレレイシスト - Munchener Brucke
  • 宮崎勤が死んでも不安な夜は続く。 - Munchener Brucke

    裁判が長期化しようが、いずれ死刑判決が出るのは判っていたので、それはもういい。 問題はこの事件が「若者の犯罪」の分水嶺となったという事実だ。 私は「なぜ人々は「少年による凶悪犯罪が増えている」という間違った情報を鵜呑みにしているのか? 」というエントリを書いたが。コメントやTBでいくつかの反論をもらった。その代表的な反論が「確かに数は減っているが、問題は質だ!」というものだ。 では昔の少年による凶悪犯罪と宮崎事件以降の少年犯罪の質的差異は何か?昔の少年犯罪の犯人像は凡そ「典型的なワル」で、街をたむろするチンピラみたいら連中で、巷で喧嘩をしてはたまに殺し合いになる。まあこんなイメージであろう。実際にこのイメージに当てはまる犯罪ばかりではないが、世界的標準の少年による凶悪犯罪はこんな感じだ。 昔の犯罪の質より宮崎勤事件以降の犯罪の質が悪いという一番の根拠は、被害者が少女といった弱者だからであろ

    宮崎勤が死んでも不安な夜は続く。 - Munchener Brucke
  • Sapporo Life

    結論から言うと、日における少年による凶悪犯罪は戦後劇的に減少している。これは事実なのでこれ以上説明しない。疑問がある人は自分で調べて欲しい。 12/16(金)のテレビ東京のWBSで少年犯罪は減少しているというデータを取りあげた。実はマスコミがデータに基づいた客観報道をするのは稀で、多くのマスコミは特異な少年犯罪を断片的に報道し、人々に凶悪な少年犯罪がいかにも増えている印象を与えることに余念がない。 番組で50代の中年男性が、「最近少年の凶悪犯罪が増えている。昔は悪い子はそんなにいなかった。」みたいなコメントを発するのは実に滑稽であった。中にはキャスターやコメンテーター自身が事実を知らず、悪意なくまるで「少年による凶悪犯罪が増えています」みたいな発言をする。有識者と呼ばれる人の不勉強さにはいささか呆れ果てる。 なぜマスコミは嘘を伝えるのか? 実はマスコミに嘘を伝える意図はそれ程ない。一部に

    Sapporo Life