世界は「狂気」である。 たとえば電車の中でサラリーマンがすこし大きな声で仕事の話をしています。そんなことはよくあることで特に気になりません。しかしよく見ると、そのサラリーマンには話し相手がいなかった。独り言を会話しているようにしゃべり続けていたのです。このとき「狂気」を感じます。 たとえば昼間、サラリーマンが街中で、大きな声で歌を歌っている。その場に緊張が走ります。このサラリーマンが、「みんなビックリした?笑いのために、あえてやってみました〜!」と言ったとします。これでは誰も笑わないでしょう。さらなる「狂気」がおそいます。 この場合に僕たちがすることは、このサラリーマンがだれとコミュニケーションを成立させているか、ということでしょう。たとえば同僚が少し離れたところで、はずかしがり、歌うサラリーマンをわらっている。それはなんらかの罰ゲームかもしれませんが、「歌うサラリーマン」と同僚に間にコミ
四年目の破綻から回復した後、私はこれまでの脱オタストラテジーを変更した。際限の無い人付き合いや趣味拡張が精神の破綻をもたらす事を考慮し、リソース振り分けを見直した。脱オタ開始時に強く念じていた「劣等感」や「対人関係の苦手意識」が消滅した以上、もはや過剰なファッションも過剰な人付き合いも不要に違いない。そう判断し、ファッションへのリソース振り分けを減少させた。人付き合いの無秩序な拡大も禁止し、むしろ新規に付き合う相手は厳しく評価し制限する方式にした。脱オタを開始した頃、人からの評価に敏感だったあの頃には、自分がまさかこのような振る舞いをするとは思っていなかった。無論、これは傲慢極まりない処世術には違いなかったが、既存の友人関係と自分自身の中枢神経を守りながら人脈を形成するには、他に方法は無いと判断した。 そのうえ私は他人からの評価に再び無頓着になっていった。「等身大の自分・普段の自分を評価し
脱オタと呼称し得る「コミュニケーションと文化全般に関わる総改善」計画は、やはり傍目にも目立つものだったらしい。数年間で起こった変化には周囲の人達も気づいたようで、いろいろな言葉をかけてくれた。とある女医さんがこう言っていたことが忘れられない。「シロクマは、まっしぐらに色々かき集めていて、昔のオタクっぽい雰囲気がなくなってしまった。ギラギラしてるよね」。彼女は、必ずしも肯定的なニュアンスでそれを口にしたわけではないようだった。また彼女は、適応に貢献しそうな能力・スキル・リソースばかりを集めることがそれ自体アキレス腱になる事も(賢明にも)指摘してくれていた。第三者から視て、当時の私は人工的で少々やりすぎのように捉えられたのだろうか。 彼女の指摘は間もなく現実のものとなった。拡張に次ぐ拡張を繰り返した結果、それら全てを保有・発展させ続ける事が困難になってしまったのだ。時間、体力、神経etc...
「学校へ行こう!MAX」という番組で校則を特集していた。 所詮バラエティー番組なので、討論とは言いながら、特異な校則をネタにしているような構成で議論は深まっていないのだが、これを見ると校則が複雑なベクトルが合成されてわけがわからない状態になっているのがわかる。本当に教育上有効なツールになっているのか疑問も沸いてきたのでネタにしてみる。 どうも校則の存在基盤には様々な考えがありようだ。私が気付いたものを列挙すると。 道徳・モラル準拠論 社会の道徳やモラルを、学校生活に置き換えてわかりやすくしたものが校則であり、校則を守る教育をすることにより社会で必要な道徳やモラルの教育となる。という説。 校則保護論 校則は生徒の保護が目的であり、危険性のある行為や行動を禁止することにより生徒を保護するのが目的である。未成年の禁酒や禁煙など保護を目的とした法律と同じ考え。 管理上必要論 多数の生徒を管理するに
次のお題は体罰であった。この問題ほど議論が浅いままに放置されている問題はない。建前上は教育基本法で禁止されているにもかかわらず、昭和の時代までかなり黙認されてきたという不思議な行為なのである。 議論することさえタブー視されてきた一方、未だに鉄拳制裁容認論みたいなものも根強い。 ちょうと宮崎哲弥がイギリスやカナダで体罰が復活したという話*1を出したので思い出したが、そもそも階級社会のイギリスでは子どもの教育にも階級差があり、それぞれの体罰のあり方が異なっている。パブリックスクール等ではまず生徒に罪を犯したことを自覚させることを重視し、罪を犯した自覚の上で応報刑的に体罰が与えられる。一方下層階級の子どもたちは頭でわからないので体で言うことを聞かせるのである。これは恐怖を与えて恭順させることであり、教育よりレベルの低い動物の調教みたいなものである。 イギリスやカナダで復活した体罰はかつてパブリッ
最後の方だけ、野球好きに話を聞きながら見たら、なんか高校野球マンガみたいだと思った。 続きを読む それは、それが公理だからだ。公理というのは「1+1=2」のような、証明する必要のない決まりごとのこと。「○○をしてはいけない」という決まりごとのほとんどは、その言葉を使う社会にとっては公理である場合が多い。 たとえばおれが、日本の中で決められた「○○をしてはいけない」という公理を疑うとしよう。ちょっとこれ、おかしいんじゃないの?って思ったとする。だからっておれは日本語を疑ってデタラメな文字を書いたり、パソコンを疑ってキーボードを叩き割ったりはしない。 それはなぜだろう。なぜおれは○○を疑いながらも、キーボードを叩き割ってデタラメな言葉を書き連ねたりしないんだろうか? 数学の世界に、ユークリッド幾何学というものがある。その五番目の法則はこうだ。 平面には互いに交わらない二本の平行線が引ける。 平
先週から書いてながらまとまってなくて中途半端ですがこのまま up します。 [id:rna:20060311:p2] で続いている件、僕自身論点を把握しきれてないのと、この流れの中で直接的にやり取りを続けると端で読んでいる人もついてこれないのではないかと思うので一度エントリの形で(把握できている範囲で、ですが)整理するということでお返事とさせてください。 プライバシー 僕がこれまでの議論でプライバシーという言葉を曖昧に使ってしまったことで、混乱を招いてしまっていると思います。 僕が「私信の公開はプライバシーの侵害にあたるのでイケナイ」という場合のプライバシーというのはかなり狭い意味で使っています。すなわち、私生活上の秘密であり通常人が他人に知られたくないと思う情報、というような意味です。秘密であることが重要なので、一度暴露されると回復不能な損害を与えうるものです。 これに対して名誉や信用そ
kazkichikiさんに教えていただいた質問に、回答をつけてきました。 『なぜ人は人を殺してはいけないのでしょうか?』という問いは結局何だったのでしょうか? 相変わらず「『なぜ人は人を殺してはいけないのでしょうか?』という問いの答え」を投稿してる人が多いです(多くは質問者さんにスルーされてますが)。“殺す”はたった1行の文章の理解を惑わすほどに強力な単語なんですかね? でもって参考までに、今年1/1からのうちの日記の日ごとのページビューです。 1番高い山が3/10で、例のエントリを投稿した翌日、ニュースサイトに取り上げられた日です。その直前のちょっとした山は3/7で「なぜ(略)つまらない答え(略)?」のエントリですね。で、そろそろ落ちつくかと思ってたら、分裂勘違いさんに取り上げられたので、まだ高めを維持しています。 ぼくの考える「なぜころの良さ」は、 食いつきがいい 何度でも使える とい
はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く スポンサード リンク ・はじめての“超ひも理論”―宇宙・力・時間の謎を解く 高名な物理学の権威が書いた超ひも理論の入門書。 超ひも理論とは「ものの最小にして究極の構成単位はひも状の物質である」と考える最先端の物理理論。この超ひもは、かつては最小単位とされた原子やクォークよりも小さく、それ以上は何者にも分割できない最小の物質であるとされる。 超ひもには両端の開いた、うなぎのような形のひもと、閉じた輪ゴムのような形のひもの2種類があって、どちらも常に振動して動いており、静止することはない。これがクォークやレプトンという粒子の正体である。この超ひもにエネルギーを与えると振動モードが変化する。この振動の違いにより超ひもは異なる粒子のように見えるように振舞う。 超ひもは10次元に存在する。10次元のうち6次元は極小の大きさに”折りたたまれ”て、4次
WBCの準決勝、日本は3度目の正直で宿敵、韓国を破り、決勝進出を果たしました。 2次リーグ敗退は濃厚と思われていたのが、アメリカのまさかの敗退に救われる形で奇跡的に勝ち上がり、けっこう楽な気持ちで試合に臨めたのではないでしょうか。さすがに3回続けて負けることも考え難いので、試合は順当な結果に。いくらルールとはいえ、今まで全勝の韓国が初黒星で大会を去らなければいけないのは、ちょっとお気の毒でした。疲れもあったかもしれませんね。通算成績では日本に勝ち越し、いちばん白星の多いチームでしょうから、この結果には胸を張っていいのではないでしょうか。 イチロー選手の発言が、また物議を呼んでいるようです。 「向こう30年は日本には手は出せないな、という感じで勝ちたいと思う」 これ位の気持ちで臨もうという意志の表れであり、チームリーダーとしての責任感も汲み取れます。でも、ちょっと"ネット右翼っぽい?
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "バナナ型神話" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年5月) この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2023年3月) バナナ型神話(バナナがたしんわ)とは、東南アジアやニューギニアを中心に各地に見られる、死や短命にまつわる起源神話である。 概要[編集] 重要なアイテムとして、共通してバナナが登場することから、スコットランドの社会人類学者ジェームズ・フレイザー(Sir James George Frazer, 185
まんま「絵で見る「はてなブックマーカーの働き」 - シナトラ千代子」とかにインスパイヤされた話ですが。 はてなブックマークを使ってて、なんかおもしろいなーと思ったのが「おっかけブクマ」?ってゆーやつ。…いまググってみたけど、昔の俺のエントリしか出てこないぞ。謀ったな、id:REV。 「追いかけブクマ」でググるといちおう12件Hitするので、たぶんそれが正式名称なんだと思います。「追いかけブクマ」というのは、お気に入りに登録した人がブクマしたエントリを見て、自分もブクマすることですね、たぶん。 俺のブックマークはいまんとこ15人くらいにしかお気に入り登録されてないんだけど、スゴイ人になると数百人のブックマーカーからお気に入り登録されているらしい。つまり、そのスゴイ人がブクマしたエントリーには、数百人のブックマーカーが群がるということになるのだ。怖いなぁ。 でも、たとえば俺のブックマークがその
最後の方だけ、野球好きに話を聞きながら見たら、なんか高校野球マンガみたいだと思った。 続きを読む それは、それが公理だからだ。公理というのは「1+1=2」のような、証明する必要のない決まりごとのこと。「○○をしてはいけない」という決まりごとのほとんどは、その言葉を使う社会にとっては公理である場合が多い。 たとえばおれが、日本の中で決められた「○○をしてはいけない」という公理を疑うとしよう。ちょっとこれ、おかしいんじゃないの?って思ったとする。だからっておれは日本語を疑ってデタラメな文字を書いたり、パソコンを疑ってキーボードを叩き割ったりはしない。 それはなぜだろう。なぜおれは○○を疑いながらも、キーボードを叩き割ってデタラメな言葉を書き連ねたりしないんだろうか? 数学の世界に、ユークリッド幾何学というものがある。その五番目の法則はこうだ。 平面には互いに交わらない二本の平行線が引ける。 平
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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