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ブックマーク / chazuke.hatenadiary.jp (2)

  • 雑記。 - ちゃずけのはてなにっき

    「じえい」云々の話は、未だにおかしなことを書く人もいるようで、「どこまで続くぬかるみぞ」の言葉がふと。 拾い読んでいて感じたのは、「人」を知らない人が「じえい」「じえい」と言いたがるんだろうなあ、 この手の人は「人」が見えていない気がする、その言葉を浴びせられて、痛みを感じる「人」がいると言うことがわからない、 「人」の心の痛みが感じ取れない、そんなことを言われたら、どんな気がするか考えつかない、つまり、やはり「人」ではないと言うことかなあ。 ことさらに斜め上から見下ろして、その無意味な言葉を「冷静」であるとか「切れのいい言葉」であるだとか、 人から「思われるに違いない」と信じて疑わない、実のところ下世話な「いっぱんろん」を繰り返しているだけに過ぎないのに。 「いっぱんろん」という化け物に身を捧げることで、自分は「守られている」と信じたい気持ちはわからないでもないが、 守られなかったときに

    雑記。 - ちゃずけのはてなにっき
    ureyubo
    ureyubo 2009/12/14
  • 絶望した、、 - ちゃずけのはてなにっき

    やはり「自衛!」「自己責任!」の記事があるなあ、読んでいてうんざりした。 以前、沖縄の少女暴行事件でも書いたことがあるが 「親切心で自衛しろ、と言ってるんだ!」の人間って、自分の「善意」を前面に押し出すけど 善意の人間とは、実際に被害にあって身も心も傷ついた人を指さして、「ああならないように気をつけないといけないよ」と言うものなのかな。 理不尽に自分の尊厳を踏みにじられた上に「自己責任」なんて、周囲から「ああならないように」の「例」にされる、 「被害者」とは「社会の秩序」という幻想を守るための「生け贄」か? 「あのとき、あの道を通らなければ、、」と、どんな人でも犯罪に巻き込まれれば、自分を責めるものだと思う。 何故、自分を責めるのか、それは世間が責めるからだ、 「ああいう事件に巻き込まれるのは、ちゃんとしていなかったからだ」と、なんの関係もない他人は自分の「安心」のために言いたがる。 若い

    絶望した、、 - ちゃずけのはてなにっき
    ureyubo
    ureyubo 2009/12/04
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