タグ

2017年12月3日のブックマーク (4件)

  • imageをイメージと読む/書くのはいい加減やめにしないか

    imageの発音は/ˈɪmɪdʒ/ カタカナで書くならイミッジといった辺りだ もちろん英語の発音をカタカナで正確に表すことはできない できないが,それにしたって/ˈɪmɪdʒ/をイメージは乖離しすぎだ このイメージ問題は,「lrがどっちもラ行」や「thがサ行になっちゃう」とは根的に異なる部分がある lrやthは純粋に発音の問題だ 原因は日語にはそういう音がないからだ 翻って/ˈɪmɪdʒ/は日語の音でそこそこ発音できる にもかかわらず「イメージ」になったのはimageという綴りが原因だろう -ageという語尾はいかにも/eɪdʒ/(エイジ/エージ)と読みそうだが,実際そうなるのは1音節のage,stage,page等々とengageぐらいで,多くは/ɪdʒ/になる ただでさえ例外的なうえにaを/ɪ/(イ)と読むのはかなり「不自然」なのでエージが定着したのだろう -ageで終わる単語は

    imageをイメージと読む/書くのはいい加減やめにしないか
    urtz
    urtz 2017/12/03
    この手の「定着済みのカタカナ語を原語発音に近づける」運動には反対だなあ。違うからこそ勉強した時に驚きがある。違うからこそ文化足り得る。あと耳で聞いたほうがいい。https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/image
  • 深センに行ってきたがディストピアにしか見えなかったけどな

    オイラ昨日深センに行ってきたんですわ。広州から電車で深センに入って、深センから香港経由で日に帰ってきた。 そしたらタイムリーなことに深セン行ったら日ヤバイと思ったっていう↓の記事がバズってて、だけどオイラの見て感じたことと相当違うなと思ったんで忘れないうちに感想を書く。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545 あなたは今から書くことを読んでも深センに希望を見ることができるだろうか? 1. そもそも中国には通信の自由がない これはよく知られている話だけど、深センではGoogle, Facebook, Twitter, Line等の資主義国のWebサービスが大半使用不能。 旅行blogで深センの情報を読もうと思っても、閲覧制限があるようでLivedoor blogやfc2 blogは参照できなかった。 かといって百度で日語の現地情報を検索して

    深センに行ってきたがディストピアにしか見えなかったけどな
    urtz
    urtz 2017/12/03
    民主主義国家であっても自由度は豊かになるごとに開放される。抑圧から生まれるパワーがそれを開放させる。中国もそうなるだろう。もちろんどこまで行っても今のロシア程度の開放度なのかもしれない。
  • みんな外断熱+熱交換器+low-e複層ガラスの優秀さが分かってない。技術的・..

    みんな外断熱+熱交換器+low-e複層ガラスの優秀さが分かってない。技術的・商業的には既にゼロ・エミッション住宅は完成してるのに。結露や夏場の暑さ、湿気にも強いのに。 内地の建築士は特に意識が低い。北海道技術屋は「吉田兼好の呪い」といってる。 札幌市では、小学校の体育館をまるまる外断熱施工して、人の体温だけで暖が取れるようになってるとこもある。大災害時の避難所になるから。 断熱厚さ300㍉のゼロエミ住宅を見学したことあるが、外は氷点下10度なのに15人ぐらいで内覧してたら暖房なしでどんどん暖かくなり、みんなコートを脱いだ。 千歳の外断熱改修した分譲マンションは、1月で寝る前室温26度に上げて、暖房切って寝て起きたら21度ぐらいやと。 課題はコストだが、普及すれば劇的に下がる。やり方は簡単で、新築にlow-eと外断熱の断熱厚さを義務付ければよい。効果はEUで証明されてるし、FITより楽チン

    みんな外断熱+熱交換器+low-e複層ガラスの優秀さが分かってない。技術的・..
    urtz
    urtz 2017/12/03
    コスト高なものを義務付けるとなると当然補助金の議論になる。それより普通にランニングコスト比較で売っていけば自然と市場は広がるだろう。
  • 革命バカ一代、塩見孝也、死す。

    塩見孝也。1960〜70年代、革命を目指し、武装蜂起を主張した赤軍派の元議長。70年、ハイジャックの共謀や爆発物取締法、破壊活動防止法違反などで逮捕。獄中20年。89年、出所。晩年はシルバー人材センターの紹介で東京・清瀬のショッピングセンターで駐車場管理人をしていた。享年76歳。11月14日、心不全のために亡くなった。 出会いのきっかけは、私が23歳の頃、ロフトプラスワンに「元赤軍派議長が語る!」的なイベントを見に行ったことだった。なぜわざわざそんなイベントに行ったかというと、当時の私は生きづらさをこじらせていて、近い過去に政治とかに怒って火炎瓶とか投げまくってた「政治の季節」に多大な関心があったからである。 翻って、自分の周りを見ると、半径5メートルの世界で消費活動だけしてろ、という空気の中、政治や社会に関心を持とうものなら「ヤバい奴」扱いされるという圧力に満ちていて、なんだかとっても息

    革命バカ一代、塩見孝也、死す。
    urtz
    urtz 2017/12/03