最近、江戸時代の良さを見直そうという言説が巷に溢れている。鎖国や身分制度、貧農社会の果てに頻発した飢饉といった負の歴史認識から脱却し、「江戸時代の日本は美しかった」と肯定的に評価しようとする動きである。 細川護熙元首相 =2014年1月(小野淳一撮影) 月刊誌「文藝春秋」の最新号でも、わが国の人口減少をテーマにした特集の中で、「江戸時代の日本に戻れ」という見出しの論考があった。執筆者は細川護熙元首相である。国立社会保障・人口問題研究所がまとめた推計によれば、日本の総人口は100年後には4500万人まで減少し、江戸時代とほぼ同じ水準に戻るという。 細川氏はこうした人口減少と超高齢社会の現実を受け止め、「あらゆる面で背伸びをせず、分相応を意識して徐々にダウンサイジングを図り、今後の低成長を前提に置いて考え方や生活様式を改め、『サステイナブル(持続可能な)』社会を作っていくべき」と説く。見出しと
天正10年(1582)6月2日、京都の本能寺において、織田信長は明智光秀に襲撃され自害した。光秀が謀反を起こした原因については現在までにさまざまな指摘がなされており、いまだに注目を浴びるのは、光秀の背後に黒幕がいたという説だ。最近では、「土橋重治宛 明智光秀書状」(美濃加茂市民ミュージアム所蔵史料)の原本が発見され、光秀が室町幕府の再興を狙ったのではないかという議論が活発になっている。この件については後日詳述する「将軍黒幕説」の中で取り上げたい。 さらに他にも、朝廷が光秀の黒幕であったという説がこれまでも有力視されていた。つまり、信長が朝廷を圧迫あるいは蔑(ないがし)ろにしたため、反発した朝廷が光秀を背後から操り、信長を討伐させたというのである。では、信長が朝廷を圧迫あるいは蔑ろにした事実というのはあったのだろうか。その一つ一つを確認することにしよう。
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