僕は専門学校へ行ってないし、アニメーターがどうやって作画してるか、動きをつくってるか、最初はぜんぜんわからなかった。アニメ業界に入ってから「原画のパターン」とか「動画のパターン」を教えてもらった。走りの原画はこう描いて、こうやって動画を入れる、みたいな。
先日の夕食会で、小説家の平野啓一郎さんから「日本人デザイナーは欧米のようなボリュームのある曲面の使い方が苦手という話を良く聞きますが、実際はどうなんでしょう」という質問がありました。 以前に、ドイツのカーデザイナーに「日本の乗用車の質感は素晴らしい。しかし、どうしてあんなに弱々しくデザインするのか不思議だ。剛性感とか丈夫さとかを表現しようと思わないのか」と言われたことがあります。英国のデザイナー達は曲面の成り立ちについて、生命の進化にからめてロマンを語りますし、ラテン系のデザイナー達は本当に楽しそうに豊かなボリュームをなで回します。 私は、日本のデザイナーの中では有機的な曲面を多用する方だと思いますが、確かに自分にはイタリア人のようなおおらかな面や、アメリカ人のようなモリモリのボリュームはうまく使えません。曲面を磨き上げながら、できるだけスリムにしようとしている自分がいます。無駄をそぎ落と
ものつくりのセンス ---Taste for Makers--- Paul Graham, February 2002. Copyright 2002 by Paul Graham. これは、Paul Graham:Taste for Makers を、原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。 プロジェクト杉田玄白正式参加テキスト。 <版権表示> 本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。 (「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。 Copyright 2002 by Paul Graham 原文: http://www.paulgraham.com/taste.html 日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org) <版権表示終り> Paul Graham氏のエッセイをまとめた『
ものづくりの現場に関わると、計量感覚がかなり重要になってきます。 先日、ある学生に研究中の部品の既存製品はどのぐらいの厚さだったかと聞いたら「薄いものでした」という答え。「いやだからどのくらい?」と聞き直したら「えーと、とても薄かったです」。苦笑するしかありませんでした。 ものづくりの現場にいると、ある段階から「薄くしたい」では許されず、寸法を何ミリにしたいという明快な意思表示が必要になります。その経験を積むと、自然に携帯電話のキーをみて「(突出量が)0.2ミリないかも」とか、車のバンパー見て「8000R(曲率半径が8mという意味です)ぐらいか」とか習慣的に考えるようになってきます。 以前に、公共建築の家具をデザインして、お役所の人が試作品を確認する「検査会」に参加したときの事です。自分もその試作品を見るのが初めてだったので、ついいつもの調子で、椅子の肘掛けのエッジが、私の指示よりシャープ
最近、とてもおいしい和食を食べる機会があった。 その和食は、「すごく手間がかかっている」のではなく、ぱっと見には「あまり手間がかかっていない」ように見える。 しかし、ものすごくおいしいのだ。まず、良い素材が選ばれている。そして、それを処理したり、味付けする「加減」がじつに精妙なのだ。その「加減」の選択、「それでいい」という判断は、きわめて高度なセンスのもとにおこなわれている。 料理に限らず、音楽でも、映画でも、デザインでも、なんでもそうだと思うのだが、いいものというのは「やりすぎ」がない。いいものを作れる人というのは、「何をやるべきか」をわかっている以上に、「何をすべきでないか」をわかっている。 何かをしないという判断は、決して無知なのではなく、「それをすべきでない」という知恵・センスに裏打ちされていることが多い。「それをやると、台無しになる」ことがわかっているのだ。 いいものを作れる人、
・祖母から教わったのだと思うのだけれど、 「七度探して人を疑え」ということわざがある。 これについて、いままでにも何度か書いたかもしれない。 「七度探して人を疑え」と言われたのは、ぼくだ。 子どものころのぼくが、なにかのことで人を疑ったのだ。 簡単に決めつけて、人を疑ったときに こう言われて叱られたのである。 いまになると、よくわかるが、 人は、七度も探すことなく人を疑うものである。 ドラマを見ながら、「あいつが犯人だよ」とか おたのしみで疑っている分にはなんの問題もない。 しかし、現実に金品が失くなったりしたときに、 じぶん以外のだれかが盗ったのではないかと 疑ったりすることは、浅からぬ罪ではあるはずだ。 正直に言うが、小学生のころに祖母に叱られたぼくは、 その後、大人になってからも簡単に人を疑ったことがある。 思い出すのは海外のホテルで時計を失くしたときのことだ。 七度探すこともなく、
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