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2009年12月29日のブックマーク (6件)

  • 身体感覚で「論語」を読みなおす。/安田登: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 能楽師(下掛宝生流ワキ方)である安田登さんによる『身体感覚で「論語」を読みなおす。―古代中国の文字から』。 これはおもしろかった。 白川静さんが好きな僕には納得感もあった。 有名な「四十にして惑わず」も、「惑」という文字自体が孔子の時代になかったのだから、「40才になったら迷わない」という意味ではないだろう、と著者は考えます。 白川静さんも『漢字―生い立ちとその背景』で「人が神とともにあり、神とともに生きていた時代には、心性の問題はまだ起こりえなかったのであった」と言っているように、「心」という漢字自体が孔子が活躍する、ほんの500年前にできたにすぎない。「心」がついた「惑」は孔子の時代のさらに500年以上あとにようやく登場する。 であれば、孔子が「四十にして惑わず」などと

  • 補遺:新聞業界を含むメディア再編話についての補足 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    日経BPのインタビューを受け、ついでにこのブログでもエントリーを書いたのですが、遠回しに書いたり冗長にしたりしてぼやかしてたら、まだ趣旨に誤解があるようなので。 新聞のネット進出が苦戦続きなのはなぜか http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091222/202408/ 日経BPで、グループ会社の悲哀を代弁するコメントを寄せました http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/12/bp-d3a5.html ○ もちろんポジショントークです 記事もそうですし、メディアから通常の取引の範囲内でお金を貰って書いています。メディア企業から戦略のすべてを開示されているとか、全部が音を言われているとは当然思っていないけれど、打った手の狙いや背後関係や組織人事といったところはある程度は知っています。 通常の取引以外でも、個別

    補遺:新聞業界を含むメディア再編話についての補足 - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    usadamasa
    usadamasa 2009/12/29
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  • アパレル業界の常識を破壊 世界を目指す“鎌倉シャツ” メーカーズシャツ鎌倉会長 貞末良雄 | 起業人 | ダイヤモンド・オンライン

    バブルが崩壊し、長期不況のとば口にあった1993年、貞末良雄はと2人で古都鎌倉に小さなシャツ専門店を開いた。わずか15坪(約50平方メートル)の店の名は、「メーカーズシャツ鎌倉」。それから16年、“鎌倉シャツ”の愛称で親しまれる同社の製品は、いまや年間30万着を超える販売数を誇る。 顧客の評価を集めたのは、なんといってもその品質の高さにある。綿100%の高級生地だけを使い、縫製は世界最高レベルを誇る日国内の工場で行なう。品質の高さは、抜群の着心地、質感を生み出す。百貨店なら1万円を下らない高品質にもかかわらず、価格は5145円(税込み)とリーズナブル(一部製品を除く)だ。 今のファッショナブルな姿からは想像もつかないが、大学卒業後に貞末が選んだ職業は「特殊ランプの設計士」。電気工学の専攻を生かしての就職だった。もっとも、「先祖代々、繊維商人」という血を引く者には「勉強すればそれでいい」

  • 「ヤン フードン—将軍的微笑」@原美術館 (フクヘン。- 雑誌ブルータス副編集長、鈴木芳雄のブログ)

    気鋭の中国人映像作家Yang Fudong氏の展覧会 「ヤン フードン—将軍的微笑」が原美術館で始まった。 3月28日(日)まで。日曜日がお薦め(理由は下に)。 ↑マルチチャンネルヴィデオインスタレーション 「将軍的微笑The General's Smile将軍の微笑」より 急速な変貌をとげる現代中国を映像作品として、 ときにドキュメンタリー調に、ときに演劇的に表現していく。 追究された構図、完璧な間の表現、格調高い映像美は 彼がどの作品においても、徹底して追い求めているものだ。 35ミリフィルムによるモノクローム映画があったり、 メディアに注目しても、マルチプロジェクターやプラズマディスプレイを 複数組み合わせた大がかりなインスタレーションがあったり、 それが同一の作家によるのも現代的で、彼の多彩ぶりを表している。 老将軍の最後となる誕生会の祝宴の情景を通して、人間

  • これから見に行きたい展覧会「楊福東 将軍的微笑」@原美術館 - 新・両国さくらのファッション・イン・ファッション(Fashion in Fashion)

  • 「手を加えない」という高度な判断 - モジログ

    最近、とてもおいしい和べる機会があった。 その和は、「すごく手間がかかっている」のではなく、ぱっと見には「あまり手間がかかっていない」ように見える。 しかし、ものすごくおいしいのだ。まず、良い素材が選ばれている。そして、それを処理したり、味付けする「加減」がじつに精妙なのだ。その「加減」の選択、「それでいい」という判断は、きわめて高度なセンスのもとにおこなわれている。 料理に限らず、音楽でも、映画でも、デザインでも、なんでもそうだと思うのだが、いいものというのは「やりすぎ」がない。いいものを作れる人というのは、「何をやるべきか」をわかっている以上に、「何をすべきでないか」をわかっている。 何かをしないという判断は、決して無知なのではなく、「それをすべきでない」という知恵・センスに裏打ちされていることが多い。「それをやると、台無しになる」ことがわかっているのだ。 いいものを作れる人、