古文漢文に対する風当たりは強い。なんでこんな糞の役にも立たないものを覚えさせるんやクソ、と高校生だけでなく経済界からもたまにdisられるかわいそうな古文漢文。必修に値する理由を考えてみる ・法律など一部古語で書かれている重要物を正しく読めるようにする 「ぬ」の識別とか間違ったら意味が違うので大変 ・我が国の文化的伝統を知る 歴史を知ることで現代を知る的なやつ ・登場人物たちがSEXする小説を高校生が堂々と読める これは大きいでしょ。古典でないとこうは行かない
名門校出身者たちを目の当たりにして 教育と格差の問題といえば、しばしば話題にのぼるのが東大生の親の年収である。2014年の調査によれば、東大生の育った家庭の半数強が、年収950万円以上の比較的裕福な家庭だという。 ここで問題視されているのは、階級の固定化である。つまり、裕福な家庭は多額の教育費を支払うことができるので、子供は高学歴化する傾向にある。学歴と収入は比例することが多い。結果的に、金持ちの家系はいつまでも金持ちだし、逆に貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない――という問題だ。 だが、こうした問題提起に出くわすたび、いつも「ある視点」が欠けていると私は感じる。それは都市と地方の格差、地域格差である。 田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。 あらかじめ、どんな地域で育ったどんな人物がこの記事を書いているのか、簡単に紹介しておこう。 私は高校時代ま
すこし前の話だが、ツイッターで個人的に関心を引かれた投稿があった。投稿者は、プロフィールによれば外資系コンサルへの勤務経験を持ち、投資やキャリアデザインに関係したブログを運営している方だ。 本気で受験勉強して、大学も結構勉強して、大学院でも勉強して、社会人になっても仕事でそれなりに成果出しているという認識を持っていますが古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね。他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに「春はあけぼの」というくらいしか使ってない — シャイニング丸の内 (@shimaru365) 2018年2月20日 このツイート(https://twitter.com/shimaru365/status/965893822512218113)は「春はあけぼの」のせいでギャグになってしまったが、実際のところ「漢文は社会で役に立たない」という主張自体には同意する人も少なくな
いいかげん納得のいく理由を教えてくれ。 今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文・漢文」という暗記ゲームを強制され、不当にも人生を左右されている。 おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも「古文・漢文」という"学問"が、根本的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文・漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会の義務だと思う。多少なりとも共感能力と良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。 ようするに言いたいのは、ここでの古文・漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことなる議論だってこと。 専門的な学問を「
時代区分を見直す中世史家 保立道久・東京大学名誉教授 歴史には時代区分がある。だが、日本史で一般的に使われる「平安」も「鎌倉」も「室町」も問題だと指摘し、新たな区分を提案する歴史家が現れた。名付けを見直し、区切る事件を変える。歴史の大きな流れが理解しやすくなるというのだ。明治以前を「古墳→大和(やまと)→山城(やましろ)→北条→足利→織豊(しょくほう)→徳川」にすべきだ、というそのわけは。 ――時代区分を変える必要などあるのでしょうか。 「時代区分は、歴史を少しでも分かりやすくするための印です。学界も習慣的に使っていますが、社会への影響が大きく、もっと深く考えるべきだと思いました」 「ヨーロッパや中国などの外国は、王朝交代で時代を区切ります。日本の天皇は『万世一系』ですから難しいのですが、前近代の政治の中心は王権です。王権の変化で区切るほかありません」 ――では、最初の王権はいつできたので
コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
大阪市の橋下徹市長(42)は19日、市教育委員会所管の吹奏楽団「市音楽団」に関し、解散も含め事業全体をゼロベースで見直す方針を表明した。事業費を学校外教育の補助などに転用する意向だ。市役所で記者団に述べた。 市によると、全国で地方自治体が音楽団を直接運営しているのは大阪市だけだという。音楽団は市職員43人で構成、うち39人が楽器を演奏する音楽士として採用され、市内各所で演奏会を開くほか、市立小中学校の吹奏楽部への指導を実施している。年間の支出総額は約4億3000万円に上る。 市長は大阪府知事時代に財政再建策の一環で大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)への補助金を段階的に削減し2011年度に全廃。これを念頭に「府で無くしたのに、市で続ける理由が分からない」と強調した。(共同) [2012年1月19日23時12分]
おまえらどうせ古文漢文日本史世界史なんて興味無いだろ はてなブックマーク - 金融日記:金融と経済を義務教育で教えよう http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51553020.html 古文漢文は重要だ!!みたいなこと言ってる人が何人か見受けられますが、基本的に古い文学って読んでも何も得無いですよ。 そして、日本の学校教育の古文と漢文は腐っていて、あれが重要だと思うってのはろくに古文漢文を読んでいない証拠でもあると思う。 更級日記っていう割とよく学校教育でも扱われる日記文学があるんですが、これはどういう話かというと若いころにラノベにはまりすぎて人生がおかしくなった腐女子が中年になってから若い頃からの思い出話を書いた話です。これが何故学校教育でよく使われるかというと、中二病丸出しの文章
「英語の圧倒的一人勝ちで、日本語は衰退してしまうから、国語を守るために、国語の時授業時間を増やし、近代日本文学を読み継がせるのに主眼を置くべき」 と主張する「日本語が亡びるとき」という本を、梅田望夫氏と小飼弾氏が絶賛しているが、この本で主張されているのは、 日本文化を守るために個々人の人生を犠牲にする、愚劣な教育政策だ。 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行本購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (459件) を見る 今後、世界中の、あらゆる価値ある知識は英語で生産され、英語で流通する。 インターネットの普及が、その流れをますます加速している。 世界中の知的にパワフルな人々は、ますます母国語よりも英語で読み、英語で書き、 英語で議論しながら、価値ある学術的成果・文化・商品
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く