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津波に関するusataroのブックマーク (3)

  • 伝わらない警告 ~NHKの検証番組を見て感じた事~ - 杜の里から

    3月22日(木)のNHKスペシャル「NHKと東日大震災 より多くの命を守るために」を興味深く見ました。 この番組は「大津波の危機感をどこまで伝えられたか」、「原発事故の見えない危険をどこまで伝えられたのか」、「被災者を支えるきめ細かい情報はどこまで伝えられたか」の三点についての震災報道のあり方の検証だった訳ですが、特に大津波の報道については、実際に被災地でその放送を聞いていた者として言わせてもらえば、どうしてもテレビ局側とこちら側との意識のズレというものを感じざるを得ませんでした。 震災当日、宮城県では地震直後に全世帯が停電となり、すぐに携帯も繋がらなくなり、外部との連絡手段が完全に断たれてしまった状況になっていました。 そんな中、我々が一番頼りにしたのはラジオだったのですが、その放送内容は当初はテレビのアナウンスをそのまま流していたものでした。 そのため我々が欲しかった情報は極めて限定

    伝わらない警告 ~NHKの検証番組を見て感じた事~ - 杜の里から
    usataro
    usataro 2012/03/25
    画面では津波の生中継なのに、アナウンスはその実況じゃなくてはるか西の方の津波注意報だったりしてたことには、確かに違和感を感じてた。
  • asahi.com(朝日新聞社):骨組みだけの防災庁舎、保存を断念 南三陸、遺族に配慮 - 社会

    印刷 解体されることになった宮城県南三陸町の防災対策庁舎=西畑志朗撮影  東日大震災の津波で骨組みだけとなった宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、佐藤仁町長は20日、近く取り壊す方針を明らかにした。津波の被害と教訓を後世に伝える遺構として一時は保存が検討されたが、33人の町職員が死亡・行方不明となり、遺族からは「つらい記憶がよみがえる」との訴えが相次いでいた。  防災対策庁舎は、海岸近くの高さ約13メートルの3階建ての建物。震災直後、防災無線で避難を呼びかけ続けた町職員の遠藤未希さん(当時24)ら約50人がいた。津波は屋上まで達し、助かったのは鉄冊などにつかまっていた佐藤町長ら10人だけだった。  震災後、大半の建物が流された町の中心部には、赤茶けた鉄骨だけになった同庁舎が残った。学者らからは「津波の悲惨さや職員の献身を後世に語り継ぐためにも、モニュメントとして残すべきだ」という意見が

    usataro
    usataro 2011/09/20
    遺族の気持ちもわかるが、被害を後世に伝えることも重要で、それは生き残った者が地域の未来に対して負う責務。もう少し考える時間が必要だったのではないか。
  • 鎌倉の大仏も大地震の被災者 鎌倉時代に大津波で流失の過去

    今回の東日大震災では多くの人命が失われた。かつて、われわれ日人は、このような大震災に遭遇しながら、いかに苛酷な運命に立ち向かって行ったか。作家・井沢元彦氏が論ずる。 * * * われわれの住んでいる日は、古くから地震や、それに伴う津波が当たり前だったことは、あらためて述べる必要はないかもしれない。 古くは平安時代の八六九年、三陸沖の海底を震源とした大地震と大津波が起こったことがある。当時の年号を取って貞観地震と呼ぶ。 家屋は倒壊し地割れが起こり大津波が内陸の奥までやってきた。当時の人口規模で千人が溺死した。これは今なら数万人の単位だろう。また、この貞観年間には富士山大噴火(864~866年)も起こっている。これは記録に残る最大の噴火と言われている。 ちょうど都(平安京)では藤原氏の他氏排斥がたけなわで、応天門の変(866年)によって古代豪族大伴氏が没落した頃だ。 日はまさに地震列島

    鎌倉の大仏も大地震の被災者 鎌倉時代に大津波で流失の過去
    usataro
    usataro 2011/06/05
    明応年間が鎌倉時代だなんていう単純な間違いくらい直せよ。小学館の校閲はザルなのか?
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