印刷 解体されることになった宮城県南三陸町の防災対策庁舎=西畑志朗撮影 東日本大震災の津波で骨組みだけとなった宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、佐藤仁町長は20日、近く取り壊す方針を明らかにした。津波の被害と教訓を後世に伝える遺構として一時は保存が検討されたが、33人の町職員が死亡・行方不明となり、遺族からは「つらい記憶がよみがえる」との訴えが相次いでいた。 防災対策庁舎は、海岸近くの高さ約13メートルの3階建ての建物。震災直後、防災無線で避難を呼びかけ続けた町職員の遠藤未希さん(当時24)ら約50人がいた。津波は屋上まで達し、助かったのは鉄冊などにつかまっていた佐藤町長ら10人だけだった。 震災後、大半の建物が流された町の中心部には、赤茶けた鉄骨だけになった同庁舎が残った。学者らからは「津波の悲惨さや職員の献身を後世に語り継ぐためにも、モニュメントとして残すべきだ」という意見が