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ブックマーク / t-kawase.hatenadiary.jp (4)

  • 「日本文化論」の典型としての『國體の本義』 - 美徳の不幸 part 2

    今日は、久々の院ゼミ(約1ヶ月ぶりか?)。今日の課題図書は『國體の義(やっぱ、ここは旧字がしっくり来るよな)』(文部省編、1937年発行)。実は、が学部時代のゼミでこれを読んでおり、そのコピーが「発掘」されたので、僕がもらい受け、「たまにはこういうのをみんなで読むのも面白かろう」と思って、レジュメを作らず好き放題にしゃべり合う。 勿論、内容は今から見れば突っ込みどころのオンパレードなのだが、このの主旨は「そういう賢しらな論理・理屈を越えて日の国体、ひいては天皇は偉いのだ。なぜなら偉いというのは過去から現在、そして未来永劫続くのだから」とトートロジカルに宣揚することなので、その論理の瑕疵を言い立ててもはっきり言って意味がない。 僕としては、つい習性でこのの宗教観などに注目してしまうのだが(例えば仏教に関してはやはり「鎌倉新仏教中心史観」ぽいなあ、とか)、それよりも気になったのは、戦

    「日本文化論」の典型としての『國體の本義』 - 美徳の不幸 part 2
    usataro
    usataro 2011/01/14
    家にあるかと思ったらなかった。討論がおもしろそう。
  • 京都での初詣 - 美徳の不幸 part 2

    昨日は大阪の実家を訪問。1月2日は我々姉弟が年に一度実家に集う日として恒例化しているのだ。 (可愛いウサギの提灯) 今日は京都で夫婦水入らずの休日。どこに初詣に行こうかと相談して、ウサギ年だから、ウサギの神社として有名な岡崎神社に行こうと決めて、地下鉄で東山まで行き、そこから平安神宮経由で岡崎神社に向かう。でも、みんな考えることは一緒なのですね、予想以上の長蛇の列に並ぶ羽目に。1時間以上だらだら参拝を待って、すっかり芯まで冷えてしまった。珍しい狛犬ならぬ狛ウサギも見たし、一応僕としては満足。残念ながら人気の「うさぎおみくじ」は売り切れで引けなかったけど。 (これが狛うさぎ) 帰りはバスに乗り京都駅まで。帰宅し、冷えた体を温めるべく、激辛豆カレーを作ってがつがつべて、ようやく血流を戻す。

    京都での初詣 - 美徳の不幸 part 2
    usataro
    usataro 2011/01/13
    「ウサギの神社」「岡崎神社」提灯がかわいい。
  • システムとしての国家神道 - 美徳の不幸 part 2

    今日、恩師の新書を読了。 国家神道と日人 (岩波新書) 作者: 島薗進出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/07/22メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 63回この商品を含むブログ (24件) を見る先生のこの10年ほどの「国家神道論」を追っている僕からすれば、半ば復習のようなものだが、やはり強調するべきは、神社神道にだけ限定するような国家神道論はよろしくない、特に皇室神道・祭祀を抜きにした国家神道論はダメだということ。僕も先生の顰みに倣って、自分の論文では「国家神道システム」という用語を用いているのは、神職・神社神道の活動以外にも「国家神道」というのは浸透していたと捉えているからだ。具体的には、仏教各宗派や、新宗教も、キリスト教も、積極的に(ここが重要。下支えなくして、あそこまでの「猛威」は振るえない)このシステムに荷担したのである。勿論、教育現場にお

    usataro
    usataro 2010/07/30
    まだ途中までしか読めてない。
  • 「奴隷」の見本 - 美徳の不幸 part 2

    花岡信昭という産経新聞の客員編集委員がいる。完璧な「奴隷」の見である。「言われてやるのはまだ未完成。言われる前に進んでやるようにし向けられれば、支配の完成」というのが規律権力論の要だが、このオッサンはそれの斜め上まで行ってしまっている。だから「奴隷」という表現にした(奴隷は自分のことを「奴隷」と言われると怒る、と書いたのは誰だったか。魯迅だったか。僕はそれを紹介した竹内好の文章をぼんやり憶えているのだが。あと「奴隷と奴隷の主人は同じ」だとか「奴隷は自分が奴隷であることを忘れている(から奴隷)」というようなことも言っていたと思う。今手元になく確認できぬが)。 花岡なる人物、このところ自分のブログで、沖縄の少女暴行事件に関して、被害者の少女に対する「セカンドレイプ」を「大人の常識」とやらを振り回しつつ垂れ流している、どうしようもないオッサンである。その酷さは、最近のエントリを読めば一目瞭然だ

    「奴隷」の見本 - 美徳の不幸 part 2
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