猛獣 中島敦の「李陵」を読み直した。なんど読んでも凄い作品だ。悲劇の武将李陵を中心に、武帝、司馬遷、蘇武の性情と運命を描く。 同じく中島敦の「山月記」に、 「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。」 という言葉がある。人間の性情は猛獣である。この猛獣は天から与えられるものであり、これを容易に手なづけることはできない。性情という名の猛獣はしばしば猛獣使の制止をふりきって、主人を予想もしなかった運命にひきずりこむ。 李陵も、武帝も、司馬遷も、蘇武も、歴史に名を残した傑物。その性情たるや並みの人間の猛獣ぶりではない。猛獣が人間をしてときに偉業を為さしめ、ときに絶望的な不幸に突き落とす。 「我在り」という事実 権力者の周りには必ず佞臣酷吏が集まり、保身のための阿諛追従をなす。才気ある者は必ず嫉妬され、讒言を受けて失脚する。匈奴征伐に派遣された李陵が降伏し捕虜となったとき