タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

映画と*あとで読むに関するusgiのブックマーク (5)

  • おいおいなんなのちょっと「コクリコ坂から」すげえツボなんですけど。 - たまごまごごはん

    「コクリコ坂から」見てきました。 結論から言うと、パンフレットとビジュアルガイドを何も考えずに買うくらいにハマりました。 なにこれ、すごいツボなんですけど! コクリコ坂から 公式サイト コクリコ坂からビジュアルガイド〜横浜恋物語〜posted with amazlet at 11.08.06 角川書店(角川グループパブリッシング) (2011-07-16) 売り上げランキング: 1897 Amazon.co.jp で詳細を見る なんつかぶっちゃけると、見る前はぜんぜん期待してなかった。 最初行かないつもりでしたもん。キービジュアルみてもどっか国籍不明系のファンタジー?とか思ってましたし。 (というか見終わった今でもこのキービジュアルはなんか自分の感覚と違って困惑します。いい絵なんだけど、あれ?って。) まあスルーしようかなーと思った時に、見に行った友達からこんな言葉が。 「コクリコ坂は、ブ

    おいおいなんなのちょっと「コクリコ坂から」すげえツボなんですけど。 - たまごまごごはん
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (1)

    『ゴダール・ソシアリスム』(原題Film Socialisme, 2010)は、『映画史』以降のゴダールの作品で、まぎれもなく最も力強く、ラディカルで、密度の濃い作品である。「フィルム」によって「社会主義」を振り返る、あるいは来るべき「社会主義」を展望すること。「フィルム」によって「社会主義」と表裏一体の「資主義」を撃つこと。あるいは、この「フィルム」こそが「社会主義」そのものにほかならないと強弁すること。20世紀を考えるために避けて通ることのできない「フィルム」と「社会主義」という2つのタームを合わせ鏡にしたこの喚起力のあるタイトルは、すでにそれだけでさまざまな連想を誘う。 だが、ここで「フィルム」として名指されているものは、実のところ、多種多様なイメージの異種交配に強引に与えられた仮称にすぎない。基的には全編がデジタルのHDカムで撮られたというから、そもそもは「フィルム」ですらない

  • 『ゴダール・ソシアリスム』覚書(1) ウェルズの徴の下に - les signes parmi nous

    ゴダールが予告編の名手であることはよく知られている。ゴダールの手にかかると、予告編はそれが予告するところの篇の粗末な要約であるどころか、それ自体として一つの短編としての完成度を備えるようになる。そのことは、作品のキーワード(かわいい女の子、悪党、拳銃…)をアンヌ・コレットの声が次々に列挙する一方で、それに対応したりしなかったりする映像がテンポよく展開されていく『勝手にしやがれ』の予告編(左)——それを締めくくるのは、ゴダール自身による「今やっている最良の映画」le meilleur film actuelという声だ——や、同じ手法をブラッシュ・アップした『軽蔑』と『気狂いピエロ』の予告編を見るだけでも明らかだ。あるいは、ブレッソンの『少女ムシェット』の予告編(右)など、一種の映画批評になっているとも言え、「予告編」の概念そのものを更新している。その他にも、ゴダールの声が非西洋音楽のメタフ

    『ゴダール・ソシアリスム』覚書(1) ウェルズの徴の下に - les signes parmi nous
  • 『ソーシャル・ネットワーク』を見たゼ! - 空中キャンプ

    新宿にて。デヴィッド・フィンチャー新作。すばらしい! とてもいい映画でした。登場する人びとの関係性や会話の妙が中心となる映画で、これほどに緊張感のある刺激的なストーリーになっていることに感心しました。わけても、ジェシー・アイゼンバーグ*1演ずる主人公マーク・ザッカーバーグの描かれ方には、脚と構成力の確かさを感じました。さまざまな相反する意図や裏の意味が重層的に読み取れる、複雑な視点で作られた映画である点もユニークで、見終えてから他の人と話したくなるような作品でした。 きわめて印象的な冒頭の会話には、主人公の性格がほとんどすべて凝縮されている。そのため観客は、オープニング後ほんの数分で、この主人公がいったいどういう性格の持ち主なのかを理解することができる。映画のオープニングとして、きわめて効果的だと感じた。頭の回転が速く、会話の何手も先を読んで返答してしまうために、相手を落ち着かない気持ち

    『ソーシャル・ネットワーク』を見たゼ! - 空中キャンプ
  • 感覚的資本論

    彼らは落胆とともに映画館を出る。思い描いていた映画ではない。理想と違う。頭の中に流れている、決して完結する事のない包括的な映画ではない。自分で撮りたい映画ではないし、もし彼らの心の内を覗き見る事ができたら、実際に彼らが生きてみたいと思う映画でもないだろう。        ジョルジュ・ペレック「物の時代」 (訳注) 映画館に行く事は、「彼」と「彼女」お気に入りの週末の過ごし方である。ある調査によると、不況が長引く昨今、映画鑑賞は人々の間で最も人気の娯楽になった。 インターネットを使って精力的に映画情報を調べ、実際にはあまり選択肢はない中で、大ヒット商業映画ではないアート系の映画を懸命に探しくたびれる。 文化消費とは、常に記憶の速度に追いつこうとするこうした明確なスピードに依存している。「彼ら」の顔に老化の兆候はみられない。スキンケア商品の威力に乗じて、「彼ら」はより良い作品を見たいと

  • 1